他人

Ink-Keeper's Apprentice

Ink-Keeper's Apprentice

キヨイは5月の末に学校を止めた。渡米を半月後に控えたキヨイは身辺の整理を始めた。父からもらったお金と小切手をなぜか自分のために使う気になれなかったキヨイは、そのお金を使い果たすために、銀座の高級ギフト店で、親しい人たちに贈り物を買うことにした。先生(野呂新平)には薔薇材のパイプ、時田には手の込んだデザインの英国製のライター、Michikoには金のピン、そしてReikoには宝石箱をかねた「蛍の光」が奏でられるオルゴールをそれぞれ買った。母に父のお金で贈り物を買うのは気が引けた。母と祖母には自分が描いた油絵を残していくことに決めた。

日本を発つ一週間前に、キヨイは父が九州から連れてきた新しい家族、継母とまだ5歳の継妹にも会った。その翌日には父のたっての願いで、母と三人で横浜の港が見えるレストランで会うことになった。そのとき、16歳のキヨイは母と父がもはや完全に赤の他人であることを再確認し、しかも自分も彼らとは赤の他人であることを心に深く刻むことになる(第19章前半)。

かつて愛し合った母と父は……今や他人(strangers)も同然だった。それでも僕は彼らの子供だった。二人が共有するのはそれだけだった。あとはすべて思い出(memories)にすぎなかった。久保田の言ったことは正しかったのかもしれない。愛にはめぐる季節(seasons)があり、最後には枯れる(dead)、と。

 母は父に僕をアメリカに連れて行ってくれることを感謝していた。三人はレストランを出て明るい午後の陽射しの中を歩いた。三人とも言葉を失って歩道にしばらく立ち尽くした。僕は父と行くべきか母と行くべきか分からなかった。

「よかったら港をぐるっと歩いてみたいんだけど」僕はとうとう口を開いた。
「東京に戻らなきゃならないんだ」父は時計をみた。
「見送りに来てくれるかい?」父は母にたずねた。
「ヨシ子さんが気を悪くしなければ」母は答えた。ヨシ子は継母である。
「まさか。心配ない」

三人はそこで別れた。それぞれ違う方向に歩き去った。母は僕の方を笑顔で振り返って、手を振った。母と父は僕にとっても他人(strangers)同然だった。(三上訳、pp.145–146)