マサオ君の散歩の裏側


The First Person Singular (Studies in Phenomenolgy and Existential Philosophy)
ナイジェリアの男は素敵だなあ、、(これはホントに哲学者アルフォンソ・リンギスの本。)



A Thousand Rooms of Dream and Fear
死んだ男の語りにぞくぞくするなあ、、(邦訳『灰と土』で知られるようになったアティーク・ラヒーミーは現代アフガンの琵琶法師のような語りの天才。)



私とマリオ・ジャコメッリ―「生」と「死」のあわいを見つめて
怖い写真だなあ、、(マリオ・ジャコメッリのかなり変な写真に辺見庸が食い下がる、、。微妙なすれ違いが興味深い。)


家族に見透かされているように、そして世間からも白い目で見られているように、マサオ君には仕事/趣味という境界があるようでないのは本当のようだ。まるで散歩が仕事のようでもあり、授業が趣味のようでもある。少なからぬ同僚たちが最近の大学生に何をどこから教えりゃいいんだと嘆く声をよそに、マサオ先生は今時の大学生たちとワイワイチャラチャラ遊んでいるように見える。授業では、大学生たるもの入学したその日から、シューカツは始まっていることを肝に銘じろ!と喝を入れたり、大学生の本文は〜にアリ!とか説教ばかりで疲れちゃう、などと本人は言っているが、傍からは大学生たちとおしゃべりなんかを楽しんでいるとしか思われない。奥さんに言わせれば、部屋の机の上には、いつもとても哲学の本とは見えない本が乱雑に積み重なっている。本人に問いただすと、それもこれも全部「哲学」の資料なんだそうだが、彼女はまったく信じていない。ところが、信じてもらえないことを、マサオ君は気にしないどころか、楽しんでしまうところが厄介このうえない性格である。



フサスグリ(房酸塊, Red Currant, Ribes rubrum



トウグミ(唐茱萸, Goumi, Elaeagnus multiflora var. hortensis



トウグミの種子を捨てずに口にくわえるヒト(Human, Homo sapiens sapiens



トウグミの種子



ヤマグワ(山桑, Mulberry, Morus bombycis


マサオ君を知らない人のなかには、公式の綺麗な花の写真なんかを見て、まあなんて綺麗な心の持ち主なの、と誤解してしまう人もいるであろうが、彼は心は決して綺麗ではない、むしろ汚れ切っている。本人は汚れ切った美しさというものがある、と言うが、真相はここにはとても書けそうもないほどスキャンダラスである。ちなみに、今朝の散歩では、彼が一番心躍らせていたのは、空き地や道端や廃庭で熟して食べごろの果実を掌や口の周りを真っ赤にしながら味わっているときだった。そしてそれらの種を持ち帰って家裏の土の中に埋めて、種からは無理に決まっているのに、近い将来そこにフサスグリやトウグミやヤマグワやサクランボやセイヨウナシやニホンナシの樹が育つ様子をニヤニヤしながら想像しているときだった。想像力は現実を変える。それが彼の悪い口癖なのであった。現実をちゃんと見てよね。それが奥さんの口癖なのであった。