GATSBY

GATSBYの最新CM「洗顔 変身編」(http://www.gatsby.jp/tv/#/index/cm/collection)が面白い。テレビでは一度見たきり、その後見なくなった。どこかからクレームでもついたのだろうか。未詳。醜男がGATSBY洗顔フォームで顔を洗うとキムタクに変身するシーンがあのスタイリスティクスの「愛がすべて」の軽快で華麗な曲に乗って流れる、かと思いきや、その映像をモニターでチェックする醜男とディレクターが映り、「こんな感じになります」と言うディレクターの言葉に「嘘でも嬉しいですぅー」という醜男の答えが深い余韻を残す。そういう凝った作りのCMである。CMをCMするCMである。

私が第二次性徴期を迎えた頃に大流行したチャールズ・ブロンソンの「うーん、マンダム」の素朴だったCM(1970年)を懐かしく思い出す。中学生の頃、学校に遅刻しそうになりながらも、クラスの好きだった女子の顔を思い浮かべながら、鏡の前で慌ててマンダムのヘアリキッドなんかを使うような初々しい時代もあったのだ。微笑ましい。今では、加齢臭さえ「カレー臭」と言い放って、年頃の娘たちが露骨に引く様子を見て楽しむほどに「男」として堕落してしまった。

四十年前の男臭いブロンソンのCMと現在の男臭くないキムタクのCMをくらべてみると、もちろん違いは色々と指摘できようが、それよりも、四十年経っても変わらないものの方が気になってくる。変身願望だ。一見、チャールズ・ブロンソン木村拓哉は同じ男でありながら、ずいぶんとかけ離れた生き物のように見られかねないが、己を貫く「男気」は共通している。それがあの小説の主人公ギャツビーのイメージにも重なる。四十年前と現在とでは「男の物語」は全然違うものになったように思われるかもしれないが、その根本、「男気」への憧れとそれを身につけた男への変身願望という点では変わらないんだと思う。

ここで、しかし、その哀しくも微笑ましい変身願望そのものを「お笑い」の線を引き込んで露骨に対象化してしまったのがGATSBYの最新CM「洗顔 変身編」だと思う。それは従来の(男性)化粧品CMのナイーブな「物語」というか「嘘」の一歩外に出た。そこが面白かった。それは「物語」を「嘘」と知りつつも、敢えてその嘘に見事に騙される自分を醒めた意識で演じてやろうじゃないか、「笑い」にしちゃおうじゃないか、それを生き延びるためのひとつの武器にしてしまおうじゃないか、というやや難解なメッセージとともに、結局は、男たちの変身願望に基づいた男性化粧品購買意欲を掻き立て続けることになるのだろう。

うーん、もう少し書けると思って書き始めたんだけど、なんか書き切れてないなあ、、。