T's Gallery Vol.4:愉快な多様性の空間


なんでもそうだけど、完成しちゃったもの、動きというか新陳代謝のような活動の感じられないものはつまんない。未完成というか何が起こるか予見不可能な成長しつづけている姿を見るのが好きだ。生きてるって感じがする。家でも本でもサービスでもなんでもそうだと感じる。おそらくそれは可能性ということだと思う。可能性の消失が死だとするなら、ぼくらは膨大な死を宣告されたも同然の商品に囲まれて暮らしているというおぞましい現実の光景が見えてきもする。そんな光景に亀裂の入る痛快な場所を自分でも作りたいと思っているし、他所でもそんな場所を探しながら歩いているのかもしれない。朝っぱらからそんなことをつらつら思いながら散歩しているから、武田さんちみたいな愉快な多様性の空間というか無限の空間にはぐいぐい引き寄せられるのだと思う。今朝、目についた「作品」というかオブジェだけでも、その既成のジャンル、分類を大笑いしながら大胆に横断する破格さに心底嬉しくなる。癒される。いちいち全部説明するのは野暮なので止めるけれど、なぜか縁石には旧西ドイツの地図付きのロゴタイプが貼付けられ、見たこともないとぐろを巻いたユーモラスな形の流木がT's Gallery の奥の方に「灯台」のごとく立てられ、そして手前の大きな壺にはクリとオオウバユリとガマが生けられている。T's Gallery にはそこにいながらにして、旧西ドイツやどこかの海岸やどこかの原生林や湿原などの多様な世界に通じる道が開かれている。なんと豊かで痛快な空間なことか。


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