昨日、カヌーで川下りする気分で、豊平川に沿ったトヨヒラガワ・アヴェニューを北上した。途中創成川に乗り継いでさらに北上し、伏篭川(ふしこかわ)、茨戸川を経て、石狩川に入り、河口を目指した。はまなすの丘公園として整備された石狩灯台のある砂嘴(さし)ではなく、灯台よりもずっと目立つ高い煙突が聳える北石狩衛生センターのある対岸を河口に向かった。河口近くは樹の墓場のようだった。人骨のようにも見える大量の流木が岸辺に打ち寄せられていた。人の手によって積み上げられているものもあった。そんな他に誰もいない場所で大野一雄の詩を朗読した。
いづれが舟か
いづれが川か
死生のからみあい
胎児は流れの中
母に
母は流れの中
胎児にしがみつく大野一雄「石狩の鼻曲がり」
私の声は風の音(川の声)に掻き消された。それがまた気持ちよかった。一本の木の幹が浮き沈みしながら川を流れて行く。藤原新也が伝えてくれたガンジス河を流れる人間の屍のようにも、この川を遡行し上流のどこかで産卵を終えて息絶えて屍となって海へと還る鮭のようにも見えた。森崎和江が「鮭神信仰」(『精神史の旅 2地熱』所収)で語った産女(うぶめ)という女の存在と生成の根源をめぐる想像力の汀に立っているような錯覚を覚えた。大野一雄の踊りの思想というより根源的な動機と繋がるような気がした。しばらく川を眺めていたら、海上保安庁のヘリJA6905機が飛来して私の真上でホバリングした。挙動不審者だと思われたのだろう。大丈夫だよーと手を振るとすぐに灯台のある対岸の方に飛び去った。見渡せば、手稲山が見える。暑寒別岳も見える。イシカリの大地が一枚のシーツのように私を包み込む感覚が生じる。雲雀(ひばり)の声が空に響く。鳶(とび)の影が横切る。河口に出てから北石狩衛生センターの傍を通って石狩湾沿いを北に望来の丘に向かった。途中、放牧地で草を食む数頭の馬、湿地にアオサギの番いを見かけた。平成15年で役目を終えた産業廃棄物最終処分場の錆び付いた看板が目に飛び込んできた。「伊達邦直主従北海道移住の地」碑、牛馬頭観世音と馬頭観世音の石碑、丸石を積み上げた古い土留めも目についた。夏は海水浴場になる砂浜ではハマボウフウを採取する若い夫婦に出会った。一昨年id:hayakarさんと立ち寄った望来の丘の上から日本海を眺望できる石窯パンが美味いお店Ripple(リップル)ではパンはすべて売り切れだった。望来の丘の上から見る石狩湾の海、日本海は銀色に輝いていた。ハンググライダーでその上を鳶のように舞う人がいた。ちょっと嫉妬した。私も鳶のように蝶のように飛んでみたかった。