弔問


塚本さん。2009年11月7日撮影。


私が散歩で出会った友の一人、塚本重信さんは2010年3月24日、享年76歳にて生涯を終えた。もう一人の友である佐々木さんから塚本さんの死を知らされたのは4月23日だった。


一昨日の散歩で久しぶりに奥さんを見かけ、声を掛け、お悔やみを述べた。そして昨日改めてお宅を弔問した。玄関先で失礼するつもりが、民枝さん(奥さん)にぜひ焼香をと強く勧められるがままに、家に上がり、和室に通され、仏壇の前で正座した。位牌には妙法が刻まれていた。焼香して合掌しながら、やはり、ご遺族の前だからこそ、お悔やみの気持ちや言葉を通して、本当に塚本さんのご冥福を祈ることもできるのだと感じた。まだ(死が)信じられないという民枝さんの言葉に胸を衝かれる。来ていただいて、主人も喜んでるわ、と民枝さんは言って下さった。娘さんも交えて、散歩での出会いや私が撮って差し上げた写真のことや白樺の樹や切り株の椅子や畑のことなど、塚本さんの思い出を語り合った。お二人は何度も目頭を押さえた。帰宅後、香典返しに添えられた葉書を見ると、そこには民枝さんの「お礼の言葉」が書かれていた。それを読んで目頭が熱くなった。「幼い娘達を連れ、故郷福岡からこちらに参りましたのは、もう四十年も前のこと。はじめは戸惑いもありましたが、いつも夫が側にいて、守ってくれたからこそ、私達は笑顔の絶えない家庭を築くことが出来ました。根が真面目でしたので、それは頑固で不器用なところもありましたが、それすら人間味と感じられる、本当に温かい人でした。冗談を言って人を笑わせ、朗らかだった面影。瞼をとじ耳をすませば、明るいハーモニカの音色も聞こえてくるよう……。孫達と一緒に遊んで楽しそうに笑っていた面影をしのべば、離れる辛さが胸を占めますが、今はただ夫をねぎらい、感謝の気持ちを込めて見送りたいと思います。」なんて素敵な文章、、。塚本さんが四十年ちかくもかけてこつこつと作り上げた畑の奥に聳える白樺、塚本さんは何万回見上げたことだろう、もようやく若葉を纏い始めた。塚本さん、白樺が萌え始めたよ。今朝は塚本さんが好きだったウグイスの囀りも聴こえた。塚本さん、今年のウグイスの出番は遅かったね。一瞬、ウグイスの鳴き声が「明るいハーモニカの音色」に聞こえた。