It's a Book:ページの革命をめぐる妄想


この一枚の絵が昨日からTumblrで流れ始めた。これはアメリカでかなり評判になっている4歳児から8歳児向けの「It's a Book」と題した絵本のなかの一頁である。アマゾンの紹介ページではその絵本のビデオ・トレーラーまで用意するほどの力の入れようである。



It's a Book [Hardcover], Lane Smith (Author)



Video: Watch a trailer for "It's a Book"


それは本をめぐる近未来のある状況を想定した内容である。ITに精通した臆病なネズミ君とITなんか無縁で本ばかり読んでいるのろまのロバ君が対照的なキャラクターとして登場し、本をめぐる会話が進行する。ネズミ君は(紙の)本を知らないのか、それとも知っていてロバ君をからかっているだけのか、定かではないが、いずれにせよ、ネズミ君は本はページをめくって読むものであることすら知らず、文章を読むには画面をスクロールするしかないと思い込んでいるという極端な設定である。そんなネズミ君は本を読んでいるロバ君に、「どうやってスクロールするの?」と聞く。それに対してロバ君はこう答える。「スクロールなんてしないよ。ページをめくるんだ。本だからね」。アマゾンで公開されているトレーラーでは、ページを捲る、繰る(turn)ことを知らないネズミ君は、本を読むことができずに、本をヨコにしたりタテにしたりして戸惑っている様子が描かれている。


実は、上の絵を最初に見たとき、私はなぜか別のありえない未来、パソコン画面上の操作から「スクロール」が消える日を想像して勘違いをした。書かれたものを読むことがすべてパソコン画面上でページをめくる操作によって為されるようになる未来を想像したのである。同時に、本と言えば、画面をスクロールせずに、紙のページをめくるようにして読むことができる電子書籍があまねく普及した世界も想像されていたようだ。そして、それは、ウェブの開示した〈ページ〉の革命が反動的に抑圧されてしまう危険を示唆しているという大きな誤解をしたのである。それは次のような妄想に繋がっていた。


同じページでも、ウェブページのページは本のページとは次元を異にする。そのウェブページ体験を正確に表わす言葉を私たちは未だ手にしていない。ウェブページは無限に広がる空間である。ただし、人間の閲覧能力の限界に見合った形で、有限の〈窓〉のむこう側に無限に広がる空間をスクロールさせる技術が開発された。しかもハイパーリンク等の各種の技術によって無数の別のページと複雑に相互に繋がることも可能になった。ウェブページは本が巻物だった時代の古い記憶を継承しつつ、紙という物質的制約から自由になった本来の「ページ」の姿を予感させた。それは、言い換えれば、今まで紙のページをめくりながら、頭の中に生成していた本来の「ページ」の姿に一歩近づいたものであると思わせた。そんなページの革命の一端を象徴する「スクロール」が、思わぬ時代錯誤的な技術的進展によって「ターン(めくる)」に後戻りする悪夢を見たかのような気がしたのである、、。


その妄想の背景には次のような無責任な妄想も控えていた。


本は紙の本であることの可能性をまだ汲み尽くしてはいないはずなのに、間違った夢を見せられてしまった。電気羊ならぬ電気本は電子の舞台で本の形骸を晒す悪夢を見る。一方、ウェブは紙媒体とは全く別の可能性を実現するために生まれたはずだった。ところが、嘆かわしいことに、紙媒体時代の因習がウェブ上の各種サービスにおける表現や公開の場に持ち込まれ、自らの錯誤によって自滅していくだけならまだしも、道連れのようにして、ウェブページが開示した〈ページ〉の可能性までをも葬り去るかのような振舞いが横行している。ウェブページのもつ未曾有の自由を受け止め、そこでウェブページならではの表現や公開の方法を探り続けることはたしかに容易ではない。金にもならない。しかし、その自由を恐れ、回避し、他の何かの手段に貶めてしまうことは残念でならない。ウェブは本とは異質なそれ自体自立したページ空間を拓いたはずである。とまれ、時代は錯誤する。ネットがウェブを通して見始めたページの夢は今しばらくは幻にすぎなかったようにみなされるかもしれないが、いずれ現になるであろう、、。