校庭のプラタナス


ある校庭の隅っこに十数本並んでいるプラタナス(紅葉葉鈴懸の木, London plane or Sycamore, Platanus acerifolia


先日大雪が降った頃にすべての株が幹の中程から見事にバッサリと伐られた。ここでもか、と落胆し、その痛々しい姿を見るたびに気持ちがちょっと沈む。剪定とは言えない。限りなく伐採にちかい手荒い伐り方である。手前の歩道に葉が落ちるのを嫌う向きから苦情が寄せられたのか、あるいはそれを見越して事前に伐ることを決めたのか。数年前からこれに近い「木殺し」があちらこちらで見られるようになった。それまでは一年に数回のこまめな剪定が行われていた。だが、町内会も学校も役所も財政難から剪定のための予算が年一回分に削減されたのだろう。その結果、バッサリと伐ることになった。しかし、それによって失われるものへの配慮はまったく感じられない。プラタナスはやや上向きにしなやかにのびた細い枝が大きな葉をたくさんつける。そこは野鳥たちのいい隠れ家になる。晴れた暑い日には生い茂った葉が陽光を照り返し、涼やかな大きな木陰を作り出す。プラタナスだけでなく、木が作り出すそんな空間が私の「テリトリー」からは次々と姿を消している。