検索不可能性と沈黙


 港千尋「検索不可能性」、『現代思想 2011年1月号』


写真家の港千尋はグーグルのような検索産業が実現したものは、畢竟、検索可能なものを検索する「パズル」のようなものにすぎないと喝破した。もちろん、それは人間の知的活動のかなり深い一面、つまり生きるために食う物をはじめとする物質やエネルギーを「探す」、さらには「分配(する)」という生物の基本的活動に根差す。ただし、その愉しみは昨今流行のパズルやクイズと同様に解けることが分かっているという安心の下での底の浅い愉しみにすぎない、と。では、もっと底知れぬ愉しみは何か? それは、まさに検索不可能なものを考えることだと港千尋は断言する。しかし、検索不可能なものとは何か? それについては港千尋は沈黙する。もちろん、世界は人が探そうともしないことに溢れている。