蒸し暑い日の午後2時過ぎだった。石段のある路地を抜けると人通りのほとんどない古い商店街に出た。開店している店は数えるほどしかない。水色のプラスチックの洗面器を抱えたおばあさんとすれ違う。近くに銭湯があるのだろう。懐かしい五巾の天竺木綿の暖簾が目にとまった。小豆色の生地に赤で店名を染め抜いてある。部分的に色褪せている。間口一間しかない昔ながらのラーメン屋だった。扉は開けっ放しで、暖簾の下から二巾の粗織りの長い暖簾が垂れ下がっていた。二つに割れたその隙間から薄暗い店内が見えた。吸い込まれるように店に入った。他に客はいなかった。おかみさんがこちらに背中を向けてカウンター席に腰掛けて新聞を読んでいた。四人掛けのテーブルが四つある。出口に一番近いテーブルを選び、暖簾と暖簾の隙間を通して外の通りが見えるように、出口に向いた椅子に腰を下ろした。節電のためか、店内の照明はすべて消してあったが、外光だけで十分な明るさだったし、薄暗さはむしろ心地よかった。もちろん、クーラーはない。漫画本がぎっしり詰まった棚の上で古風な扇風機が回っていた。私が席についてメニューを眺めると天井の明かりがついた。塩野菜ラーメンと焼き餃子(五個)を注文した。これが旨かった。ホッとする味だった。ラーメンは、スープの出汁の濃さと塩加減のバランスといい、麺の茹で具合といい、これ以上は望めないほど絶妙だった。さらに、上品な味の肉汁が溢れる焼き餃子との組み合わせも申し分なかった。他の全てを忘れて、目の前の塩野菜ラーメンと焼き餃子の世界に没入した。食べ終わる頃には全身の毛穴から汗が吹き出し、Tシャツは肌にべったりと張り付いていた。小母さんがひとりで切り盛りしている店だった。小母さんは汗だくの私を気遣ってか、しきりに水のお代わりを勧めてくれたり、話しかけてくれたりした。私は何となく気になることを訊いたりした。夫の父親が始めた店で、四十年は経つかしら。跡継ぎはいない。私で終わり。もったいないね。仕方ないわ。店名の「やま彦」は義父の命名だが、読みは「やまひこ」なのか「やまびこ」なのかは不明だという。どっちでもお好きなように。ご主人はどうしているかと訊くことはできなかった。壁に無造作に掛かっている日めくりカレンダーに目が止まる。浅草寺境内から東京スカイツリーを撮った写真が額縁に入れて飾ってある。ああ、それは妹が行って撮ってきたの。私は行けそうもないわ。漫画本の棚の上に置かれた扇風機の羽根はたしかに回転しているものの、涼しい風は吹いてこない。食べ終わってからもしばらくは汗が止まらなかったが、気分は爽快だった。壁に掛かった昔ながらの寒暖計が目にとまる。赤いアルコールの柱は32℃まで上昇していた。