オンコの語源と学名をめぐって



イチイ(一位, Japanese yew, Taxus cuspidata)、俗称オンコ。


子どもの頃に「オンコ」と聞き覚えた、秋に赤い実、食べると甘い実をつける木の和名は「イチイ(一位)」であることを知ったのはいつの頃だったか、思い出せない。その「オンコ」の語源は、てっきりアイヌ語だと思い込んでいたが、そうではないということを知ったのは数年前である。アイヌ語には、例えば、クネニ(ku-ne-ni 弓・になる・木)のように「〜木」という意味の「〜ニ」という呼び名が複数あるが、「オンコ」という語はない。つまり、「オンコ」の語源は不明である。ところが、「不明である」という明晰な認識に耐え切れずに、怪しい語源説をもっともらしく唱えたり、それに靡く人は少なくない。


最近、「オンコ」の語源をめぐって、ストラスブール在住の言語学者、小島剛一さんと何度かメールのやりとりをした。実は私も鵜呑みにした「オンコ」の語源説、例えば「信州辺りで赤木(あかぎ)と呼ばれていたのが、東北特有の方言によってアカギッコとなり、それが北海道に伝わって…アカギッコ→ギッコ→ゴッコ→オッコ→オンコになった」などは、小島さんの指摘によって全く根拠のない「荒唐無稽を絵に描いたような素人語源説」であることが判明した。小島さん曰く、

「アカギ」や「アカギッコ」が「オンコ」になり得るのだったら「ダンゴ」も「リンゴ」も「ヒイラギ」も「オニゴッコ」も「デンシャゴッコ」も「オンコ」になり得ます。


思わず、笑ってしまったが、「なるほど」である。


また、ウェブ上には学名のラテン語Taxus(タクスス)はギリシア語で「弓」を意味する「τάξος」に由来するなどとまことしやかに書かれたテキストも存在するが、「τάξος」はあくまで「一位の木」の意味であり、「弓」を意味するギリシア語は「τόξον」(古典語)、「 τόξο」(現代語)である。したがって、アイヌ語との共通性を云々する説も眉唾ものである。



ラテン語では「一位の木」は「taxus」(Cassell's Latin-English Dictionary, p.595)



ラテン語では「弓」は「arcus」(Cassell's Latin-English Dictionary, p.56)



ギリシア語では「一位の木」は「τάξος」(Liddell and Scott's Greek-English Lexicon, p.691)



ギリシア語では「弓」は「τόξον」(Liddell and Scott's Greek-English Lexicon, p.710)、ただしこれは古典語であり、現代語では「τόξο」