フクジュソウもユキワリソウもまだ眠っている


庭仕事の愉しみ


百年前の三月、ボーデン湖(Bodensee)畔で春を待つヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877–1962)は次のように語った。

 庭をもつ人にとって、今はいろいろと春の仕事のことを考えなくてはならない時期である。そこで私はからっぽの花壇のあいだの細道を思案にふけりながら歩いて行く。道の北側の縁にまだ黄色っぽい雪がほんの少し残り、全然春の気配も見えない。けれど草原では、小川の岸や、暖かい急斜面の葡萄畑の縁に、早くもさまざまなみどりの生命が芽を出している。初めて咲いた黄色い花も、もう控えめながら陽気な活力にあふれて草の中から顔を出し、ぱっちりと見開いた子どもの目で、春への期待にあふれた静かな世界を見つめている。が、庭ではユキワリソウのほかはまだ何もかも眠っている。この地方では春とはいえ、ほとんど何も生えていない。それで裸の苗床は、手入れされ、種が蒔かれるのを辛抱強く待っている。

 ヘルマン・ヘッセ「庭にて」(Im Garten、初出《Neues Wiener Tageblatt, 1908.3》)、『庭仕事の愉しみ』(V・ミヒェルス編、岡田朝雄訳、草思社、1996年)所収。


「初めて咲いた黄色い花」とはフクジュソウのことだろうか? 庭をもたない私にとっては、散歩する一帯が「庭」のようなものだが、そこはまだ残雪に覆われ、フクジュソウユキワリソウもまだ眠っている。