オリベッティ・バレンタイン(Olivetti Valentine)


Olivetti Valentine(designed by Sottsass, c.1969)

近所にあるブックオフと併設されたハードオフの隅っこの棚で、オリンピアやブラザーやオリベッティの古いタイプライターに出逢い、強く惹かれ、キーに触れてみたりした。帰宅後、押し入れの一番奥から埃を被った赤いケースを取り出して、久しぶりにオリベッティ・バレンタインに対面した。連れ合いが高校時代に使っていたものだ。インクリボンが装着されたままだった。文字を打ってみた。掠れた文字がリアルタイムで目の前の紙に打ち込まれていく。ベースラインが定まらない一行の味わいともども、何とも言えないいい感じだった。

「タイプライター」で調べてみたら、1961年創業のタイプライター専門店「尾河商会」が目にとまった。電動式だけでなく、手動式も中古、新品の販売がまだ行われていることを知った。修理やメンテナンスはもちろん、インクリボンなども販売している。

イブの秘密:楽園の断片


ジョナス・メカスの365日映画でも頻繁に登場した前衛映像作家ペーター・クーベルカにこんな逸話がある。メカスが『どこにもないところからの手紙』(書肆山田、2005年)の「第十五の手紙 1995年7月」で披露している。

私の友人、ペーター・クーベルカオーストリアで暮らし、仕事をしている。彼は世界的に知られるオーストリアの映像作家だ。ところが、彼は数年前から、石器時代の人間の道具について講演をするようになった。新聞やテレビ、マスコミは、彼の行動が理解できず、質問した。「あなたは世界的に知られる前衛の一人なのに、一体どうして石器時代に戻るほど保守的になったのですか?」それに答えて彼は言った。「人々が致命的な集団自殺への道を歩んでいるとき、前衛は後方で見張っているのです」(153頁)

クーベルカと基本的に同じ考えをもつメカスは、この逸話を受けて、いろいろと持論を語った末に、非常に印象深い話を持ち出す。

 こういう話がある……アダムとイブが楽園を立ち去ったとき、アダムは躓き、疲れ果て、岩陰で眠りに落ちた。だが、イブが眠れず、楽園の方角を見つめていた。すると、楽園全体が、数え切れない、無数の断片、かけらに砕け散った。そして、小さなかけらが、眠っているアダムとイブの心に降り注いだ。彼女、イブは、楽園が砕け、失われ、無くなっていく一部始終を見ていた。残ったのは、イブとアダムの心の中にある、楽園の小さな断片、かけらばかりだった。

 いや、イブは自分が見た光景を決してアダムには話さなかった。それは彼女だけの秘密となった。(157頁)

「Nowhere=Paradiseに対する違和感」(2008-01-14)でも少し触れたように、「ユートピア」思想とは異質な「楽園の断片」思想が意味深長に語られていると感じる。

Casual Marine Boots !!!


一夜明け、空は明るかった。風が巻いている。雲の動きが早い。大気が非常に不安定だ。南の空に暗雲がすこし張り出している。散歩後半、藻岩山上空も暗くなり始めた。

往路、北方面。

綿帽子。

復路、北方面。

復路、南方面。

マトリョーシカ」。

ちなみに、これは雪が深い時にだけ履く4、5年前に購入した冬用ゴム長靴。保温用のインナーブーツが入っていて二重構造になっている。だが、歩き難いこともあって、散歩の時にはスノトレ(全国的に通用する名前?)を履いている。yukioinoさんと談義(「黒長靴とスノーブーツ」)したスノーブーツは今は持っていないが、最近つま先が凍えるので、軽くて歩きやすくて暖かいスノーブーツが欲しい。

ところで、冬用ゴム長靴をよく見ると、「マリーンブーツ」とある。たしかに、海や川でも使えないことはないだろうが、冬に冬用として購入したもので、作りも冬用である。