ジョナス・メカスの365日映画でも頻繁に登場した前衛映像作家ペーター・クーベルカにこんな逸話がある。メカスが『どこにもないところからの手紙』(書肆山田、2005年)の「第十五の手紙 1995年7月」で披露している。
私の友人、ペーター・クーベルカはオーストリアで暮らし、仕事をしている。彼は世界的に知られるオーストリアの映像作家だ。ところが、彼は数年前から、石器時代の人間の道具について講演をするようになった。新聞やテレビ、マスコミは、彼の行動が理解できず、質問した。「あなたは世界的に知られる前衛の一人なのに、一体どうして石器時代に戻るほど保守的になったのですか?」それに答えて彼は言った。「人々が致命的な集団自殺への道を歩んでいるとき、前衛は後方で見張っているのです」(153頁)
クーベルカと基本的に同じ考えをもつメカスは、この逸話を受けて、いろいろと持論を語った末に、非常に印象深い話を持ち出す。
こういう話がある……アダムとイブが楽園を立ち去ったとき、アダムは躓き、疲れ果て、岩陰で眠りに落ちた。だが、イブが眠れず、楽園の方角を見つめていた。すると、楽園全体が、数え切れない、無数の断片、かけらに砕け散った。そして、小さなかけらが、眠っているアダムとイブの心に降り注いだ。彼女、イブは、楽園が砕け、失われ、無くなっていく一部始終を見ていた。残ったのは、イブとアダムの心の中にある、楽園の小さな断片、かけらばかりだった。
いや、イブは自分が見た光景を決してアダムには話さなかった。それは彼女だけの秘密となった。(157頁)
「Nowhere=Paradiseに対する違和感」(2008-01-14)でも少し触れたように、「ユートピア」思想とは異質な「楽園の断片」思想が意味深長に語られていると感じる。