シラカバ、シュウメイギク、雪だるま


シラカバ(白樺, Japanese White Birch, Betula platyphylla var. japonica)の芽。久しぶりにゴーストが写り込んでいる。

シュウメイギク秋明菊, Japanese anemone, Anemone hupehensis var. japonica)。

独り雪だるま祭り、第一日目。散歩から戻り、積み上げておいた雪のブロックの周囲を軽く削り成形して、

松の落ち葉やヤマブドウの枯れた蔓、ツララの破片を拾ってきて、試みに顔だけ作ってみた。頭頂に角をつけた理由は自分でもよく分からない。雪だるまを作るということは、一種の「自画像」を描くことに通じるのかもしれないとちらりと思う。

呆れ顔のカミさんに頼んで、一応、記念撮影してみた。角と穏やかな表情のコントラストが悪くない気がした。

活字の前衛はどこに

まだよく見えないところはあるが、活字の歴史を調べていると、あるひとつのことを感じざるを得ない。それは一定の活字を普及させた力、権力の構造である。本木昌造(1824-1875)から始まる日本における近代活字の歴史(日本の近代活字―本木昌造とその周辺*1を垣間みただけで、いわゆる「明朝活字」の普及は近代国家の成立と不可分の様相を呈していることが見てとれる。

その一端は、例えば、本木昌造から活字印刷の歴史を下ると、築地活版製造所(1873-1938)、秀英舎(1876-, 現在の共同印刷, 1935-)、そして国立印刷局に枝分かれすることにも現れている。

一般に、秀英舎の「秀英体」と築地活版製造所の「築地体」は日本における明朝活字の二大潮流であると言われる。「活字の詩学」という面では、例えば、秀英体については、港千尋著『文字の母たち』(asin:4900997161)でも主題的に取り上げられた。一方、築地体については、横浜に1919年創業の現在も活版活字の鋳造販売を営んでいる印刷所があることを知った。

「築地体」そのものに関しては、小宮山博史氏の論考が参考になる。

しかしながら、言わば「眼の喜び」に身を委ねる「活字の詩学」の線を辿ってきた途上で、にわかに「活字の政治学」が気になり出した。端的に言えば、日本の文字組版のほとんどを支配する「明朝体」、欧文書体で言えばローマン体を使うことは無意識にどんな力に従うことを意味するのかということである。それは個人的な美意識の問題とは一応は分けて考えることができるが、思想的には連動している。

思いがけず、活字の「前衛」ということを考えざるをない場所に出てしまった。

活版のことを英語でmovable type(可動活字) という

欧文活字の活版印刷工房として戦前から異彩を放ってきた印刷会社に嘉瑞工房(かずいこうぼう)がある。初代の井上嘉瑞(いのうえよしみつ, 1902-1956)のプライベートプレス(Private Press)、つまり「アマチュアリズム」に興味を持った。ウェブ上では、

のように、「嘉端」という誤記が目立つが、「嘉瑞」が正しい。

嘉瑞工房は現在、三代目の高岡昌生氏が主催している。初代の井上嘉瑞に弟子入りした二代目高岡重蔵氏の長男である。

によれば、

有限会社嘉瑞工房は今でこそ会社組織になっていますが、元々は井上嘉瑞(いのうえよし みつ)という、印刷業とは無関係な人のプライベートプレスとして戦前に生まれました。 この井上嘉瑞氏のイギリス本場仕込みのタイポグラフィに憧れて、私の父、高岡重蔵が弟 子入りし、戦後、その名を受け継ぎ会社組織の欧文活字印刷業として出発しました。 平成7 年、私高岡昌生が社長に就任し、現在も同じ業態で営業しております。

高岡昌生

によれば、

嘉瑞工房の歴史は、戦前のアマチュアプリンター井上嘉瑞(よしみつ)氏の印刷工房から始まります。個人の趣味で始めたものが本格化し、日本郵船社員としての5年間のロンドン生活を通して、活字収集と本場のタイポグラフィーの吸収に取り組みました。嘉瑞工房の名称は井上氏の名前から付けられたものです。 /このころ、ロンドンから日本の欧文印刷物の質の低さを指摘する論文"田舎臭い日本の欧文印刷"を雑誌に発表し、当時の日本の印刷界に大きな刺激を与えています。帰国後も原宿の自宅に工房を持ち活動を続け、いくつもの著作や印刷物を残しました。

その井上に師事し、戦後、嘉瑞工房を引き継ぐことになるのが高岡重蔵氏です。/井上から直接タイポグラフィーの指導を受けた唯一の人で、戦争で灰塵に帰した工房を井上とともに復活させました。仕事が多忙となった井上は工房の実務をはなれ重蔵氏が中心となり、それまでのPrivate Pressから今度は営利目的の印刷工房として活動していくことになります。 ……。

の中から井上嘉瑞に関係する事項のみを抜き書きすれば、

1902 (M35) 井上嘉瑞氏 10.18 東京 原宿に生まれる
1912 (M45) 井上氏 10才 4号大ゴム活字と簡易印刷機を母親 から買ってもらう(嘉瑞工房の始まり?)
1934 (S9) 井上氏 32才 3月「郵券蒐集第一歩」を自費印刷/春 日本郵船ロンドン支店に勤務/ロンドン滞在中に、本場の活字を多数購入
1945 (S20) 5月 空襲により嘉瑞工房焼失 活字も焼失
1946 (S21) 2月 井上氏から高岡氏へに嘉瑞工房再建にむけての通知/神田鍛冶町に嘉瑞工房再建へ
1956 (S31) 井上氏  6月4日 54才で逝去

井上嘉瑞氏の「アマチュアリズム」の消息が、活字の「前衛」という観点からはどう見ることができるのかは、今後の宿題である。

ちなみに、活版のことを英語でMovable Typeという。逆にブログソフトウェアの定番的存在と言われる"Movable Type"という命名の由来は「活版」にあったのだと初めて知った。

活版印刷は文字の一つ一つが別々の活字でできており、文字を差し換えたり、印刷が終わった後にバラバラにもどし新たに別の版を組むことができます。活版のことを英語でmovable type(可動活字) というのはこのためです。
「嘉瑞工房 活版印刷の基礎知識 1活版印刷とは」