言語哲学入門

受講生の皆さん、こんばんは。

前回までで、『トラクタートゥス(論考)』の二つの「入口」を確認しました。先ずは、言葉そのものに注意を向けて、「世界」の経験的な現象の多様性に振り回されずに、「世界」の形而上学的(超越論的)な構造をクリアに表現しようとする言葉の使われ方に少しだけ触れました。次ぎに、映画『ヴィトゲンシュタイン』の三つの観方を通して、「哲学者」として知られるひとりの男の「哲学」と「人生」の関係を垣間見ました。映画に刻印されているジャーマンの「愛情」に関しては、しばらく温存しておきたいと思います。

さて、明日は一気に『トラクタートゥス(論考)』の「出口」に案内しようと考えています。えっ、もう出口?と不審に思うかもしれませんが、「入口」の見当がついた後は「出口」をしっかりと押さえておくことが何より重要なことだからです。そして今後入口と出口をどうつなげるかは、皆さんひとりひとりの興味・関心の深さにかかっています。もちろん、案内役としての私の力量が問われるところでもありますが。尚、資料としては、メインサイトの「資料A」の「『論理哲学論考』解説」ほか、数点を使います。