もう一人の自分

受講生の皆さん、こんばんは。以下は05/16の追記です。

話のスケールが大きすぎて、さっぱり分かんない、という人もまだ少しいるようですが、もう少し我慢して話につきあってください。そうすれば、必ずパッと視界がひらける瞬間が訪れるはずです。もし20年前の私がこのような講義を受けていたら、最初はきっと戸惑ったに違いないと確信します。しかし、それと同時に私は20年前の私が受けたかった授業を目指してもいるのです。様々な欲求に振り回され、自分自身を持て余してとがっていたあの頃の私を興奮させるような知的な展望を明確に示すこと。もちろん、まだまだ20年前の生意気だった自分を納得させられるような授業ができているとは思いません。が、方向性は間違っていないし、あともう少しという手応えは感じています。

これは非常に嬉しい予想外のことでしたが、かなり多くの人が自分なりの興味と関心を切り口にして私の話に食いついてきてくれていることです。毎回感想文を読むのが楽しみですし、毎回ハッとするような視点からのコメントがあり、それらは次の授業の内容を深めるための貴重な情報にもなっています。

さて、これまで宇宙史、生命史、そして人類史の序章、第1章と時間軸にそって、「情報」が「生命系」を舞台にして繰り広げた興味深い戦略に基づいたさまざまな計画の実行を概観してきました。基本的に「情報」は自らを複製、保存するためのしくみを環境の変化に対応するためにどんどん高機能化してきました。それはとうぜん複雑化を伴います。これまでのところ、そのような複雑化のピークは脳の巨大化、言語の発生、そして文字の発明です。これからもその基本線にそって第2章、第3章と進めますが、それと並行して、私たちが日々何気なく行っていることのすべてを、その見かけの多様さに惑わされずに、なるべくクリアに見通すための情報文化的観点も学んで行きます。

実はすでに第2回目で簡単に触れたように、例えば人類にとって共通の世界認識のためのフォーマットがあります。すなわち、世界を「ここ」と「むこう」、あるいは「内」と「外」、あるいは味方と敵、というふうに二つに分けるという根源的な作法です。これは自分がコントロールできる範囲を自覚するということですが、ここには二つの重要なファクターが含まれています。ひとつは、そもそもある範囲をうまくコントロールするために必要なものを作ることです。もうひとつは、ある範囲でうまくいったコントロールをもっと広い範囲に広げるために必要なものを作ることです。これには虚弱な哺乳類である人類が生き延びるために必要だった集団化とその後の集団の拡大を可能にする「方法」の歴史が背景としてあります。

その歴史の方の話は次回にやります。ここでは人類史レベルの問題がそのまま私たち一人一人のレベルの問題に直結しているという点にちょっとだけ留意してください。つまり、私たちにとっての究極の「ここ」は「自分」であり、その自分をうまくコントロールするには何が必要で、さらにその自分を拡張するには何が必要かを押さえることが大事なことであるということです。先ずは誰でも自信を失ったり、自分を見失ったり、自暴自棄になったりすることがあるように、「自分」とはルーツも輪郭も明白なものではないことを知ることです。次に「自分」というものは変化するものである、むしろ積極的に変化させていくべきものであるという見方を根本にすえて、その変化を楽しむことを生きる方法にしてしまうということです。むろん、自己の拡張が誤った方法で進められる時、それは他を苦しめたり、結果的に自己破壊を招くこともありますから、変化の方向、内容も大きな問題にはなりますが、その点に関する教訓は人類史に学ぶとして、とりあえずは自分が変化することを受け入れ、楽しむ「もう一人の自分」をもつことが必要です。

次回は人類史の第2章、「神」の発明、あるいは宗教と国家の起源というテーマで、人類の集団レベルでの「自己」のコントロールとその拡張の歴史を概観します。