思想

7/20の記事への平岡さんとsaitouさんのコメントを受けて、私が感じていることをもう少し言葉にしてみます。私がその記事を書いた理由は、フォーサイト誌7月号「シリコンバレーからの手紙」(118)「二〇二五年までの半世紀を代表する思想・哲学はどこに」の方向性にひっかかるものを感じたからでした。それは私が『ウェブ進化論』から感じ取った<方向性>に比べて、ある意味で後退しているように感じたのです。しかし、結論から言えば、「二〇二五年〜」の方向性はそれはそれで追求すべきであり、異議を唱えるべき筋合いのものではないと思います。ただ、私は『ウェブ進化論』から「二〇二五年〜」の方向性とは異なる方向性を感じていて、そこに私なりの「哲学・思想」の姿を垣間みようとしているのです。その点では7/20の記事は誤解を招き易いものだったことを反省しています。

ビジネスやテクノロジーに関しては素人である私は、それ故にかも知れませんが、梅田さんが『ウェブ進化論』で「Web 2.0」的動向の具体例として挙げる新しいビジネスやプロジェクト、そしてそれを支える新しいテクノロジーと新しい潮流に対して本当に良い意味で期待しています。なぜなら、そこに従来の歴史や思想・哲学の観点、あるいは国家レベルの経済政策では解決されなかった諸問題が解決される道筋が示されていると強く感じるからです。言い換えれば、ビジネスもテクノロジーも歴史も思想・哲学も経済もが全く新しいフェーズに移行しつつあるのだなぁ、と感じるのです。そして私はけっして確固たる足場や立場をもつような思想・哲学の見方からビジネスやテクノロジーを見るのではなくて、むしろまったく逆に思想・哲学の「盲点」を突くような、なんと言ったらいいのか、ヴィジョンのようなものを新しいビジネスやテクノロジーの中に感じ取り、それを「物語」としてもっともっと普及させることが必要だと思っています。それを従来の思想・哲学や歴史の言葉で語ってしまうと、一番大事なものを取り逃がしてしまう。だから、ヴィジョンを物語る場所にとどまったほうがいいような気がするのです。その意味では梅田さんのような新しいタイプのストーリー・テラー、ビジネスとテクノロジーに関する有能な語り部がもっともっと増えてほしいとも思っています。

そして、近藤さん率いる「はてな」がその軽く優しい印象とは裏腹に、従来の会社のあり方に関するあらゆる常識(そこには近代的なものの見方や考え方が集約されている)に「はてな(?、疑問符)」を突きつけるラジカルな「変な会社」を目指し、とうとうアメリカ進出を果たしたことは、非常に非常に象徴的なことだと思うのです。しかもその「道筋」をつけたのは梅田さんです。私は梅田さんがシリコンバレーから学んだもの以上に、シリコンバレーと日本を繋いだ梅田さんの実践とそれを導いたヴィジョンの方にこそ、「新しい思想」が芽生えていると感じています。

例えば、「二〇二五年〜」の中に次のような箇所があります。

私がそんなふうに歩んできた「知の現場」では、それまで当たり前とされてきた常識が通用しない場合が多かった。学問的に実証された過去の知よりも、行為・行動の当事者によって現場で発想され磨かれた知のほうに、大いなる輝きがあった。

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u118.html
ここで深い肯定的な実感を籠めて語られるシリコンバレーにおける「知」を消化吸収した梅田さんは、それを日米間の深刻な溝を架橋するような「新しい知」へと育て上げた。そしてそれが現実にシリコンバレーと「はてな」を繋ぐ「道」にもなった。その道にこそ、狭い意味でのビジネスやテクノロジーの文脈を超えた、実践-思想的意義とでもいうべきもの、ないしは新しい世界観が胚胎しているように感じます。このような印象は、文字通り体を張ってシリコンバレーで生きている梅田さんとは違って、日本的環境の中で日本人的観点から考えている私の極めて個人的で主観的なものに過ぎないかも知れません。しかし、一方では思想・哲学の「普遍性」や「深さ」を何で測ったらよいのか、という疑問は常につきまとうわけですから、少なくとも日本的現実を立脚点にするしかない私を含めた多くの日本人にとっての思想・哲学の価値評価には、それが「日本の現実」をも視野に入れた地平での生産的なヴィジョンであるかないかが決定的に重要な要因になるのではないかと思います。そして梅田さんの『ウェブ進化論』は正しくそのようなヴィジョンの断片が数多く煌めいている。それらを組み合わせて有機的な一つの大きなヴィジョンにすることは、すでに梅田さん自身の手を離れた仕事なのかもしれません。あるいはその仕事は実は「二〇二五年〜」(梅田さんの新たな知的好奇心)の方向性と結果的に重なることになるのかもしれませんが。
(つづく)