一昨日の萱野茂さんの追悼ドキュメンタリー番組(NHK教育ETVシリーズ)を観ましたか。二風谷ダム訴訟での粘り強い活動、世界の少数民族の共同戦線構築の活動、旧土人法廃止とアイヌ新法成立にいたる活動、アイヌ初の国会議員としての活動、そしてもちろんアイヌ文化、アイヌ語存続に精魂傾けた活動等を通して、私は萱野茂さんの人間としての格の高さと器の大きさを再認識しました。作家の池澤夏樹さんやル・クレジオが萱野詣でをした理由がよく分かります。そして何かを「代表する=表象する」(represent)ことの偽善に関する議論を知らないわけではありませんが、しかし何かを「代表し」て闘わなければならない時と場合があることを、萱野さんの深く威厳のある言動は私に納得させる力を持っていました。萱野茂さんが見据えていた「道」はたんにアイヌ文化、アイヌ語の復興存続や社会的差別の撤廃にとどまらず、それらを通してのもっと大きく真に豊かな世界の実現だったように感じます。