『すばる』連載の青山南さんのウェブ紀行「ロスト・オン・ザ・ネット」はネット上の上質な情報を嗅覚鋭く探り当て手際よく紹介してくれる。今までもずいぶん参考にさせていただいているが、最新の報告はGoogle Book Searchを巡るひとつの重要な論点を浮き彫りにする興味深い内容である。
2006年9月号「全世界図書館への接近」http://subaru.shueisha.co.jp/html/lost/l70_f.html
議論の背景や舞台は青山さんの報告に譲るとして、見逃せないその論点とは本の価値に関するもので、青山さんは、本は「思考のツール」にすぎないという思想と本は「官能的な歓びをあたえてくれる一冊のモノ」であるという思想の対立を極めて冷静に客観的に報告している。前者の思想の代弁者は今や知る人も少ないケヴィン・ケリー、そして後者の思想の代弁者は著名な作家ジョン・アップダイク。
(ケヴィン・ケリーの興味深い経歴や世界的なベストセラー『ホール・アース・カタログ(全地球カタログ)』、そして日本でも有名になったそれらに言及した2005年6月のスタンフォード大学卒業式におけるスティーブ・ジョブズの記念的講演などについても青山さんの報告からリンクを辿ることができる。)
まず基本的におさえておいたほうがいいと思うのは、グーグルが着々と進めるネット上の全世界図書館計画を支えるのは、梅田さんも言及していた(http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060804)驚くべき進歩を遂げているスキャン技術(ロボット)と実際に想像を超える量の本がすでにスキャン済みであるという事実である。そして次にデジタル化された「本」はもはや実在する本とは異質な「存在」に変貌しているということである。すなわち、個人的な体験と分ちがたく結びついた「意味」を濃厚に帯びた「掛け替えのない存在」から誰もが好きなサイズに断片化したり、リミックスしたりできる情報のリソースに過ぎない存在への変貌である。
伝統的な精神史に属する作家は当然のごとくこれに反抗する。本はそんなものではない、と。青山さんによれば、現にアップダイクは「作者性(Authership)」が失われてしまうという危惧を表明しながら「ブック・エキスポのスピーチでも、モノとしての本の魅力をいかにも愛おしそうに語っていた。『あの匂い』という言葉もつかって、本があたえてくれる官能的な歓びすらもらしていた」。対するにグーグルのプロジェクトに深く共感するケリーにとっては「本は、官能的な歓びをあたえてくれるモノではなくて、考えるための道具なのである」。もちろん、この対立には「作者性(Authership)」という理念的問題だけでなく作家の生計にも関わる現実的問題が背景にはある。
しかしここで私が注目しておきたいことは、そのような現実的諸問題をも、アップダイクが望むような方向ではないかもしれないが、一定の仕方で解決してくれるような方向へウェブが進化していること、そして理念の進化、すなわち旧来の単独的作者性からいわば「集合的作者性(Collective Authership)」への進化がネット上では準備されているのではないか、ということである。そしてそれは実は「本」が本来もつ「情報的性格」だったのではないか、ということである。しかしながら他方では、ウェブがどんなに進化しようと、あの匂いとあの手触りの記憶とともに存在するあの本が存在しなくなることもまたないと確信している。
(札幌は今日も異例の暑さで、そのせいかパソコンが二度「落ち」ました。あわててエディターのクラッシュガードの設定を変更しました。)