写真の批評性

<HASHI(橋村奉臣)展>をご覧になった『横浜逍遥亭』の中山さんの瑞々しい報告を読んで、心が動いた。
2006/09/17(日)「写真展をはしごする」http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060917/p1
写真展のオフィシャル・ウェブサイトで『一瞬の永遠』シリーズの代表作「Cheers - 喜び - 1982」の小さなJPEG写真を見ただけでも、何かピンと来るものがあった。これは何だろうとしばらく思いを巡らしていて、そうだ、菅さんが引用していた吉増さんの言葉だ、と気がついた。

菅啓次郎さんによれば、伊藤憲監督のドキュメンタリー『島ノ唄』の中、奄美大島名瀬市ダウンタウンの中心部に立ち尽くしたまま、吉増剛造さんが次のように語るそうです。(菅啓次郎「島と北回帰線」、『すばる』10月号所収)

古い写真や古い地図を見るのが好きで、昔あった記憶をいまの状態に重ねてみたいという気持ちがある。そうするほうがはっきり見えてくる。肉眼で見えている現実の姿というのは単純すぎちゃうけれども、本当は現実の姿っていうのはもっと多重の、頭の中でいろんなものが重なった、重なって見えてくるのが現実の姿だからね。

吉増さんの言葉を受けて、菅啓次郎さんは次のように書いている。

以上のわずかな発言に、いまここに露出している現在の文化や社会に、何らかの別のかたちの想像をもちこむことで働きかけようとする作業(非常に広い意味でアートや批評といった活動)に関するわれわれにとっての、一種のコモンプレイス、共通の場が、提示されているように思うのです。

橋村奉臣氏による超高速度撮影による写真は、「古い写真や古い地図」と同じように、肉眼で見えている単純すぎる現実の姿に、「別のかたちの想像」を持ち込むことに成功していると感じます。「最速10万分の1秒という肉眼では捉える事の出来ない一瞬」の映像は、現実本来の多重性、多層性に気づかせてくれる、という意味での「批評性」を持つのではないでしょうか。「Cheers - 喜び - 1982」を見てしまった後は、シャンペンの栓を開ける瞬間に見えるものは確実に変化すると思います。

そのような橋村氏の作品と対極に位置するのが、杉本博司氏の長時間露出の驚くべき写真だと思います。