この1週間に寄せられた多くのコメントにブログ上では応答しきれていないのだが、それらが講義の中で活かされている。ブログと教室とがいよいよシームレスに繋がりつつあることを実感している。
11/8のコメント欄でbookscannerさんは、画像(イメージ)検索をめぐって次のように書いていた。
「画像にタグ付け」って話は、本の電子化においてはOCR処理が相当します。1枚1枚の画像を検索可能にするために、OCR処理をして、その中に書かれている単語を抽出して、タグとしてつけてるわけです。性能が悪すぎ!って酷評されてる日本語OCRだって、アマゾンの「なか見!検索」を見れば、思ってたほど悪くないんじゃないのって思います。性能悪いって言ってる人は、そのままコピペできないとダメって考えてたり、完璧じゃないもんは全てダメって感じなのかもしれないですが。でも、タグ付けとして考えたら、かなりいい線行ってると思ってるわけです。
逆に電子化された本のページは、スライドショーできない限界がありますよね。例えば、写真だったら、スライドショー1枚1秒で流し見しても、受動的に想起が始まるんだと思います。そして、あれっと思った場所で、ポーズして、書き込みして、なんてことをしていけるんだと思います。それ以外でも、サムネイルで百枚くらいを表示して、それを順番にみていくことでも良いと思います。写真は、色や形などで構成されているので、比較的短時間に、私たちが処理できるんだと思っています。ところが、本となると1ページに数百の文字があって、内容をだいたい理解するのだけでも、特別な速読術でも身に着けてない限り、結構時間がかかります。だから、逆にそのページを代表(represent)するような写真をはっつける、とかしたいですよね。(「マスク付け」とでも呼ぶんでしょうか)
SmartCameraについて、ユーザーは結構、タグの重要性について啓蒙されてきたところですから、良いタイミングなんじゃないですかね。携帯で写真とって、それをすぐにブログに載せて、短い文章も添えとくってだけでも、「スマカメ」ですよね?美崎さんの「スマカメ」仕様書ってのも公開されてるんですか?見てみたい。
以上を受けて、美崎薫さんは次のように応答した。
本はスライドできない。それが悩ましいところですね。ほんとに悩ましい。
ぱらぱらめくってしまうと、文字はどのページもほとんど同じに見えてしまう。サムネイルは最悪ですね。SmartWriteでは、付箋モチーフのデザインでタグづけしているのですが、それと同じような方法で、スキャン画像に対して書き込みをする機能があればいいのになと思っています。いつか機会があれば、それを実装できる日も来るかと。ああ、またこうして、実現しないアプリケーションを構想してしまう…。
SmartCameraですが、まだ提案の段階で、仕様書まではいってないです。仕様書書くのにも、コストがかかるんですよ〜。どうやって名刺交換するかとか、人間はどうやってタグづけしているのかとか、そういうシチュエーションを積み重ねて最適の方法を見つけつつという感じになるかと思いますが。
SmartWrite/SmartCalendarのDoubleSに加えて、SmartCameraが加わってTripleS「三種の神器」が実現すれば、個人の知的生産のための最強ツールの誕生となることは間違いない。
情報技術の最先端で問われていることは、イメージ(色形)と言葉(意味)をどれだけシームレス(seamless)に繋げることができるかということである。それを実現するためには、美崎さんがいみじくも書いているように「人間はどうやってタグづけしているのか」という素朴な体験の現場への眼差しが必要だ。答えは誰しもが日々体験していることの中にある。どれだけ己の体験を掛け替えのないものとして大切に扱うか。そこにすべてはかかっている。
今日の「情報デザイン論」は、昨日書いた要旨「情報の大海を泳ぐ技術」を下敷きにして、人間の知的活動における「検索」の重大さを再確認しながら、画像検索、すなわち画像(イメージ)から言葉(意味、知識)へのアクセスの困難さを中心に語った。
その前に、「時間のデザイン」の復習を兼ねて、mmpoloさんが送ってくださった「投げ入れ堂」に関する記事を題材にして、空間のデザインの基底をなす時間のデザインについて復習した。また、リニアーな時間観念を止揚する周期的、螺旋的時間観念と、美崎薫さんが昨晩コメントしてくださった「帯が折れる」ような時間のイメージ、すなわち過去が何重にも帯のように折り畳まれた角のエッジが「今、ここ」であるという世界=時間観を敷衍した。
画像検索に関しては、白い丸い花(実)の写真を手がかりにしてその植物の名前(言葉)と知識に到達することの困難さをめぐる私の体験とbookscannerさんに教えられた「イメージ検索」の先端的技術を垣間みることができる「like.com」のサイトを参照しながら、画像(イメージ)から言葉(知識)へとアクセスする技術の広範な意義について説明した。「like.com」については改めて論ずる予定。
イメージと意味を繋ぐ技術の難しさは、左脳と右脳の間のギャップを橋梁する難しさに由来するのだろうか。