検索とは思考である

昨日のコメント欄で、9君が面白い意見を書いてくれた。

人それぞれの持つ思考や疑問をその人の価値観(その人の主観?)込みでダイレクトに、つまりその人に合ったレスポンスをしてくれる検索が出来たらなぁ・・などと漠然と考えていて、しかしながら脳と検索エンジンの直結は今の所無理なんですけど、検索エンジンが発達する前に、私達人間が何を検索したいのかという事をもっと学ばなければなりませんよね。

我々は『検索』も毎回違った心理で行っているのだとすると、『キーワード』と一緒に検索する側の感情というか心理のようなものも検索にかけられたら面白いんじゃないか、なんて考えていました。

それに刺激されて、私は書いた。

検索しているとき、僕は自分の脳がある意味でネットと直結していると感じています。ネットというか、情報といったほうがいいのかな。で、問題はそこでの情報の扱い方というか、そもそも俺は何をしてんのかな?ということで、そのあたりをちゃんと語ることが一つの大きなテーマです。

「キーワード」で検索する、というときの「キーワード」のどこが一体「キー(鍵)」なのかということだよね。その鍵は何を開けるための鍵になるのか。それを知るために検索するという面があるよね。その結果、感情や心理を知ることもある。検索エンジンは言葉とイメージを形式的に扱いながら、「意味」をも扱えるように見える状態を目指しているよね。感情や心理自体も言葉かイメージに託さないかぎり、検索は原理的に不可能だよ。

実態としては、何かを検索しようとして、多数のキーワードというか言葉の塊のような、もやっとした気持ち(感情や心理)をいくつかの「キーワード」とか画像に絞り込むプロセスが、非常に重要で、それをある程度サポートしてくれるのも検索エンジンだよね。

だから、一口に「検索」といっても、「思考」とか「探究」に多面的に関係しているんだと思う。「検索」について体験を積んで、色々考えることは、人知の最も深いところに触れることでもあるし、その最先端の思考に触れることでもある気がするよ。

僕は実は検索エンジンに関しては、設計する側の思想と価値観が一番問題だと思っています。