いないいない・ばー( "Fort / Da" 、"gone / there")

朝の散歩の行きには、藻岩山は見えなかった。

雪と雲のスクリーン越しに太陽を直視できる。


帰り際、雪は小降りになり、藻岩山の中腹南斜面のゲレンデが白くぼーっと浮き上がってきた。見えるとちょっとほっとする。「いないいない・ばー」を連想する。

「いないいない・ばー」は、幼児期の一種の遊びとみなされているが、かつてフロイトが「快感原則の彼岸」でとりあげていたことを思いだした。コンパクトな説明を見つけた。

  • The "Fort / Da" Game

http://www.cas.buffalo.edu/classes/eng/willbern/BestSellers/Catcher/FortDa.htm

「いないいない・ばー」遊びには「母親の不在(いないいない)」にともなう不安を、オモチャなどを母親に見立てて、目の前に現前、存在させる(ばー)を繰り返すことによって、現実に存在しなくとも、バーチャルに存在させることができるようになる、つまり不安を解消できるようになる、人間の象徴機能(言語運用)獲得プロセスの重要な契機が見られるというわけだ。

人間の世界認識、存在の認知のメカニズムの根源に「母親の不在/存在」は深く影を落としているということか。よく分かるような気もする。「いないいない・ばー」はフロイトのドイツ語では"Fort" and "Da"、英語では、"gone/there"という。

ちなみに、私はすべてのアートっぽいことをする動機の根源に、「いないいない・ばー」が潜んでいるのは確かだと踏んでいる。