水銀の存在しない世界

「水銀」を調べていて、現在の北海道留辺蘂町イトムカ鉱山という東洋一ともいわれた水銀鉱山があったことを知った。日本の資本主義史、大資本の発展史の恥部として、北海道の歴史的恥部として語られることも少ない強制収容所「タコ部屋」との関連、「タコ」(時には「クジラ」)と呼ばれた強制労働者の遺体を運搬遺棄するためにトロッコが使われたことなどを知った。「タコ部屋」と「トロッコ」との薄暗いつながりを私は幼少の頃、祖父母の会話の中から聴き取ったことがあったことを思い出した。

留辺蘂昔話し
http://homepage1.nifty.com/kenitihasegawa/mukasi/rubesibe-mukasi4/rubesibe-mukasi4.htm
常紋トンネル------北辺に斃れたタコ労働者の碑
http://www.engaru.co.jp/osusume/joumon/main.htm

イトムカ鉱山の「イトムカ」は、「光り輝く水、泉」という意味のアイヌ語由来らしい。水銀に対して、「水のような銀」ではなく「銀のような水」というイメージをアイヌの人たちは抱いていたと想像される。金属によって錬金術(金儲け)をしようなどという発想から自由だった彼らにとって「銀」は存在しなかった。「水」という普遍的な存在がたまたま不思議に「光り輝く」性質を帯びることがあるととらえていたのだろう。

イトムカ鉱山」という名前は皮肉だと感じる。イトムカ鉱山の実態は搾取と暴力そのものであったが、「イトムカ」というアイヌ語には、真逆の深く豊かな感受性に支えられたビジョンが継承されていた。知らなかった、知ろうともしなかった人が多かったかもしれないが、「イトムカ」という名前が記録されている限り、そのビジョンへ通じる心の道は閉ざされてはいない。現に、この私は何かに導かれて、その道を辿ることになった。

「水銀」を存在させない世界観は、金属が秘めた暴力や悪への道を回避する知恵を内蔵しているような気がした。