弱さを見詰める強さ

先日伺ったギャラリー「TEMPORARY SPACE」の店主中森敏夫さんはご自身のブログ『テンポラリー通信』で毎日本気で書いている。

自分が小さく細く脆く消えたくなる時もある。私は少しもそれ相応ではない。俗で傲慢でいつも逃げ腰だ。そしてその弱さを見詰めた時少しだけ強くなる。強くなろうとする。それは自分との闘い。
http://kakiten.exblog.jp/m2007-01-01/#4372136

『横浜逍遥亭』の中山さんが「ワーキングプア」について書いていた。確かに暗澹たる状況だ。そして、暗澹たる状況こそ、逆に「思想」を鍛えるよいチャンスだと捉え返すべきだと思う。

あなたには先の見通しがないとある人に言われた。経済を基本にした関係の人である。若くもない、お金もない、仕事の未来性も感じられない。
(中略)
しかし将来性と呼ぶ未来とはなんなのだろうか。明るい未来を持った仕事とは何なのだろうか。私は死者すら未来を設定してくれるのを今経験している。まして生者においてはなおさらにである。この半年余りの間に開かれた個展はみな此処で発し次へと繋がっている。それが私の未来である。次なる野上裕之展を見次なる藤谷康晴展を見、故村岸宏昭追悼展を見、次なる阿部守展を見ること。それが他の作家も含めて私の前に広がる未来である。酒井博史さんが初めて立ち唄ったように表現者は変貌するのだ。美術家もまた変貌する。そして此処に立つ。再び。場は深まっていく。その深まりに未来がある。私はそう信じてここに生きる。半年という短いといえば短い時間だが個々の作家の此処での濃い時間は決して短くはない。深いのだ。そう思う。そしてその深さが未来を創るのだ。
http://kakiten.exblog.jp/m2007-01-01/#4354851

中森さん、「未来」とは現在を形作る過去、記憶を大切にすることによって生まれる「場の深まり」そのものであると思います。若さとお金という薄っぺらな直接性でしか将来性を計れないのが、今の日本の病根だと思います。強がりに気づかない見苦しい弱さから、弱さを見詰める清々しい本当の強さへ。近い内に、「冬の高臣大介ガラス展『冬のglaーgla』」を楽しみにまた伺います。