T君への手紙

先日亡くなった学生のT君の家を弔問した。彼の冥福を祈る気持ちをT君宛ての手紙の言葉に託してインターネットに投じたいと思った。この世からは去ったT君に宛てるのに、なぜかインターネットはふさわしい気がした。

T君、遺影の前では頭が真っ白になってまともに話しかけることができませんでした。改めて報告します。

今日、君が2歳から見て育った町を訪ねました。ご両親ともお会いしました。愛犬のウランにも。最愛の猫ちゃんにはお目にかかれませんでしたが。札幌から特急と普通列車を乗り継いで、景観が工場群から海に変わり、何本も川を超え、最後には太平洋すれすれの蛇行する線路の上を、あの独特のリズムの音を懐かしく感じながら、S駅に降り立ったとき、目に飛び込んで来ましたよ。駅前からみえるてっぺんが煤けた煙突が。びっくりしました。街中にあんな煙突がそびえ立ち、白煙をもくもくと上げている。

T君、私は謝らなければなりません。昨日はどんでもない思い違いを書いてしまいました。君はもう2年生だった。私の記憶の中では1年前だったはずなのに、君と毎週会っていたのは2年前のことだった。私の中で1年がどこかに飛んでいた。ご両親と話しているときに、どうも変だなと気づき始めて、お母さんが「あの子は大学に2年間通えてよかった」としみじみと語ってくださって、ようやくはっきりと思い出しました。なんという愚かさ。君は二十歳になっていたんだね。

私のゼミで君が自己紹介を書いてくれたA4の紙をご両親にお見せしました。そこには私がメモした君が好きだといったミュージシャンの名前と曲名がありました。それを一目みて、お母さんは表情が変わりました。知っておられたんですね。君が好きな音楽のことを。君がよく友達を家に呼んでは、自慢のロフトでわいわいやっていたという話も聞きましたよ。あの曲を皆で聞いたんだろうな。君の自己紹介の紙に見入りながら、お母さんはいろいろと語ってくれました。その紙をお母さんは預かりたいと言ってくださった。

君の家を後にして、私は駅までの道のりを歩きました。君が通った高校の前を通り過ぎ、緩く左に折れ、右に直角に折れ、左に折れて、駅に着くまで、私が駅に降り立ったときに目に飛び込んで来た煙突がずっと見えていました。君もいつも見ていたに違いないと思いました。駅構内の食堂兼喫茶店をやっていらっしゃる女将さんと呼びたくなるような老婦人に、煙突のことを尋ねました。すると、お店の常連客らしい人たちや、他の従業員の方にまで尋ねてくださいましたが、二つの説があって、結局はっきりとは分かりませんでした。そのとき、傍に君がいて笑っているような気がしましたよ。知ってたはずだよな。

君が再び辿ることのなかった鉄道を辿って私は札幌へ戻ってきました。「昔は直通の急行があったのになあ」と駅の食堂で隣り合わせたお客さんが言ってたのが印象的でした。「今は乗り換えねばならないし、こっちは鈍行だし、めんどうだから、20年以上汽車には乗ってねえ。」乗り換え駅は大きな節目だよね。大きな曲がり角。大きな踊り場。あそこで心は微かに揺らいで不安的になるよね。思わず来た道を振り返って、これから向かう道のことを思うよね。君は札幌の病院に向かったあの日、来た道を戻ったんだ。2歳から見て育った家のある町に。

T君、私はしっかり見たよ、あの煙突を。