別の宇宙が忍び来て Akiko YOSANO

今一番手に入れたいと思っている本は、与謝野晶子(1878-1942)の『心の遠景』(日本評論社、昭和3年)である。これは装幀が加藤周一の先輩の木下杢太郎で、表紙・函とも多色摺木版画装。丸背上製本・貼函入という魅力的な本で、日本の古本屋では二万円以上の値がついている。その後昭和56年に講談社から『定本 与謝野晶子全集 第五巻歌集五』に収められたが、こちらは古本市場では、全集揃いを30万円近くで買わなくては手に入らないようだ。本を手に入れることは諦めて、図書館で借りることにした。

この本が欲しいと思ったのは、何度か言及したことのある関口涼子吉増剛造『機------ともに震える言葉』(書肆山田)の中で吉増剛造さんが引用されていた彼女の歌を二首読んで、凄いと感じたからだった。ひとつは以前散歩中に「白樺」の白さに驚いて連想した、

わが倚るは
すべて人語
の聞えこぬ
ところに立
てる白樺に
して

という歌。もうひとつは、どこがどう凄いのかまだよく分からないけど、とにかく何か凄いと感じ続けている、

忍び来て夢
にも春の知
らぬまに矢
ぐるま草の
空色に咲く

という歌である。

ちなみに、これらの歌に関する吉増剛造さんと関口涼子さんの解釈はそれら自身がさらなる解釈を必要とする詩的ヴィジョンに組み込まれたものなので、別の機会に論じることにして、私は私の経験からそれらの歌、特に後者が触れていると直観する世界にゆっくりとアプローチしてみたいと思っている。

尋常でない心の目を感じる「忍び来て」によって開かれる「裏の世界」、「別の宇宙」とでもいうべき世界には3月21日に取り上げた芭蕉の「よく見れば薺(なずな)花さく垣根かな」の「よく見れば」が示唆した無意識の構造に通じ、さらにもう一段深い構造が垣間見えるような気がしているが、まだよく分からない。

この歌についてどこかでだれかが何か書いていないかなと思って、歌を丸ごと入力してGoogleでウェブ検索してみた。すると、2件しかヒットしなかったが、その内のひとつが意外にも『心の遠景』そのものの電子テキストだった。本『心の遠景』は電子化されていた。しかし、その存在するはずのウェブ・ページhttp://j-texts.com/showa/kokoron.htmlにうまくアクセスできない。そこでキャッシュにアクセスすると、「自序、1500首の歌が全部、そして奥付け」まで読めた。テキスト・ファイルにして84KBのサイズである。奥付けをみると、昭和56年に出た講談社版の全集の第五巻である。

1928年5月に書かれた「自序」には、五年間に書いた歌の中から1500首をセレクト(取捨)したこと、芥川龍之介や木下杢太郎との交情、多くの土地を旅したことが簡潔に含蓄深く書かれている。取捨して1500首ということは、その五年間に書いた歌はそれよりはるかに多いはずで、少なく見積もって2000首としても、平均一日一首以上は書いた計算になる。歌人なんだから、そんなもんだと言われるかもしれないが、その1500首をざーっとスクロールしてみた限りでは、一首一首の密度はかなり高い。

しかも私が凄いと感じていた二首は最初と最後の歌だった。私は『心の遠景』の与謝野晶子が描いた「路線図」の途中を飛ばして、いわば「出発点」と「終着点」を眺めて、その途中をぼんやりと想像していた、あるいは「入口」と「出口」を覗いて、その内部を窺っていたことになる。与謝野晶子が五年間の実際の旅と心の旅で辿り着いた終着点、あるいは出口の景色はどんなだったろうかと想像してみることは苦しくもあるが楽しくもある。それは「心の遠景」という本の題名にも微かに現れている景色のように感じられる。「心の遠景」は「奥の細道」の裏道なのかもしれないとも感じている。
(いつかにつづく)