論理学入門2007 第8回 復習:無限と存在の最も深い意味

今回は、いつも以上に気合いが入って、ドラゴンボールが教室の後ろの壁を突き破ってしまったような気さえした講義でしたが、真剣に耳を傾けてくれた皆さんには、述語論理のエッセンスのかなりの部分が伝わったのではないかという感触がありました。以前から薄々感じていたことではあったのですが、今回の講義で皆さんにお話しながら、はっきりと再認識することができたことがありました。

それは、述語論理の要である「すべて」と「存在する」という言葉の最も深い意味についてです。これについては、述語論理を開発した『概念記法』のフレーゲや『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインや『入門!論理学』の野矢茂樹さんたちは気づいていたのかどうか定かではありません。野矢さんは他の著作のどこかでは書いているかもしれないような気がしますが、残念ながら、知りません。

一見、なんということはない「何でも」とか「誰でも」とか「すべて」を意味する言葉、そして「いる」とか「ある」とか「存在する」を意味する言葉がその最も深い場所でどんな働きをしているのか。それにはっきりと気づいてしまった私はやや狼狽していました。こんなことに気づいてしまっていいのだろうか。講義中、やや声が上ずった場面があったことを皆さんは覚えていますか。

黒板には、今回の深いキーワード、テーマは「無限」と「存在」です、と大きく板書しましたよね。あの瞬間、天使が舞い降りたのでした。私たちが何気なく使う「すべて」を意味する言葉は、今まで色々と難しく議論されてきた「無限」を一気に押さえ込むための魔法のような言葉であり、「存在する」を意味する言葉は、この世界に何かをあ(い)らしめる、存在させるための、原初的な宣言、あるいは契約のごとき言葉なのだ、という「目からウロコ」的、「コロンブスの卵」的真実を、その瞬間に私は確信してしまったのでした。

男ってバカよね。
バカな男がいてさ。

の厳密な論理構造、述語論的な分析によって初めて解明される構造、

すべてのxに対して(xが男であるならば、xはバカである)
あるxが存在し(xは男であり、かつ、xはバカである)

を見てとることが今回の公式の目標ではありましたが、そのような構造そのものを支える「力」が作用する「場」ともいうべき地平を私たちは垣間みたわけでした。これは、やはり対面の相互作用的コミュニケーションの賜物と言えるのではないかと心密かに思いました。

ところで、fazzy2さん(id:fazzy2)が『入門!論理学』を「読破した」ということです。受講生の皆さんも、fuzzy2さんを見習って各自「読破」してみてくださいね。そして、「否定」、「無限」、「存在」をめぐる認識を深めましょう。