Afro Polyrhythm, again and again(検索エンジンによって選択の重要性が浮上した):365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、7月、210日目。


Day 210: Jonas Mekas
Sunday July 29th, 2007
6 min. 45 sec.

African dancers,
Cape Cod--
from an old
notebook ---

アフリカン・ダンサー
ケープ・コッドにて
古いノートから

メカスにとっては、過去のフッテージ(未編集のフィルム)はイメージによって人生を記録したノートブックである。メカスがアジアやアフリカの民族的な音楽や踊りをこよなく愛するのは、それらのなかに、前近代的、非西欧文明的な人類の記憶の再生、想起を目の当たりにするからだと思う。まるで、人類の未来はそういう過去のなかにしか存在しないと確信しているかのようでもある。ただし、そういう記憶を保存し継承していくために、最新のテクノロジーが役に立つ、あるいは必要であると銘記すべきかもしれない。そのことを承知しているからこそ、メカスはこのような電子ネットワーク・テクノロジーを駆使したデジタル映像配信に取り組む覚悟を決めたはずである。

ただ記録するだけでは死蔵されかねない経験や体験は、できるだけ再生、想起しやすい形、方法で記録されるべきである。一般に、記憶は想起の仕方を組み込んだ記録の組織化に他ならないからである。しかし、そうはいっても実際には、人の数だけ想起の癖、つまりは選択の癖がある。それらをすべて考慮した記録方法は不可能であると従来は考えられてきた。ところが、今やインターネットにおける「検索」は人の数だけある選択性の癖に応じた記録の組織化を可能にしつつある。

テクノロジーに疎いと自認するメカスが「検索」の意義をどれだけ理解しているかは不明だが、ネットに上げられた彼のフィルムたちは、検索を通じた選択によって、原理的には万人にとっての潜在的な記憶になる。理論的に問題なのは「選択」の内実、メカニズムだろう。私はなぜ、あれではなく、これを選んだのか?「あれかこれか」。選択によって、選択する以前の状態は不可逆的に変化する。選択はやり直せない。ひとたび為された選択は世界の状態を変化させる。そのような過去の選択の総体が、現在の選択傾向、選択性としての「私」を形成している。それはもうほとんど無数といってもいい膨大な回数の選択の結果である。

近代的なステージの上で、金色の民族衣装を身にまとった四人の女性ダンサーが、背後の六人の男性によるドラム演奏に合わせて踊る。メカスは会場の後方から遠目にその複雑なリズムが不思議な統一感を生む音楽と踊りを間断なくただ撮り続ける。

興味の尽きないAfrican Polyrhythmについては、過去のエントリーを参照。