情報デザイン論2007 第1回 はじめに


鳥取県三朝町、三徳山三仏寺奥の院投入堂*1。)

札幌市南区石山六区、石山開拓神社。撮影:三上勝生
2007年度秋学期「情報デザイン論」の受講生のみなさん、こんばんは。明日から講義が始まります。講義の内容に関して予め知りたい人は形式張ったシラバスよりも、下に列挙した昨年の講義の内容と様子を綴ったこのブログの過去のエントリーを読んでください。自分で言うのも何ですが、かなり気合いの入った本質的なことが色々と書いてありますし、それらに対する全国の方々からの凄く面白いコメントも満載ですから、是非一読を。

最初のエントリー「ひとつの答えが降臨した」(2006-09-25)を読めば、私の基本的な立場と狙いが分かるはずです。すなわち、この講義は「情報」や「デザイン」の通念を鵜呑みにしないで、「情報」と「デザイン」を最も根源的な場所でつなぐ哲学的探究の一環であるということです。その場所が、自己、家族、日本、人生、時間、死、等々であり、それらに直面したときに姿を現す情報の多様性にしっかりと向き合って、そこから大きなビジョンを立ち上げて、その中で本当に望ましい個々の具体的な「造形」(デザイン)に向かう心の運動を皆さんと一緒に鍛えたいと思っています。

形式的には、昨年取り上げた話題に新しい話題を追加しながら、内容的には全体として昨年よりは一段深いレベルで現代社会におけるよりよい生き方の展望を拓きたいと考えています。そのために、昨年はややソフト・フォーカスだったのですが、今年は「時間のデザイン」により深く焦点を当てる計画です。というのも、昨年も話題としては何度も違う観点から取り上げ、その見え難い重要性に関してしつこく語りはしたのですが、私たちにとって、最も身近であるが故に最も見え難いのが「時間」であり、しかも私たちの人生を深いところで支配しているのも「時間」に関わるデザインであるという思いがますます確信に近づいてきたからです。

その点に関してはとりあえず昨年の「時間のデザイン」(2006-10-31)「死のデザイン:時間のデザイン2」(2006-11-06)、そして生を賦活する死者との対話(2006-11-07)を参考にしてください。そこに書かれていることをもう少し展開することになります。

さて、情報とデザインが主題の講義の中で、そもそもどうして「時間」について考えなければならないのか。その理由の一端は「死のデザイン:時間のデザイン2」で次のように書きました。

死のデザイン

死を忌避しだしたときから、人間の生はやせ細って来た。具体的な死の姿から目を背けることが、生きることの根を奪ってきた。個々の具体的な死の姿に直面しなくてすむようなテクノロジーが戦争を拡大した。家ではなく、病院で死んで行くシステムが生活を本末転倒にした。

時間のデザインが重要なのは、私たちはみな例外なく死ぬからである。誕生から死へ向かう人生という時間を最も深いところからデザインするには、両端の誕生と死を正面から見据えなくてはならない。誕生はまだしも、死に関しては私たちは無知もはなはだしい。近親者の死さえ満足に弔うことさえできなくなっている。供養さえ。

供養とは、死者と相互に養い合うこと、深い対話を意味する。そうするためには忘れないことが必要だ。記憶。忘却に抗する記憶の想起が最低の条件になる。

栄枯盛衰の「栄盛」ばかりを追い求め、「枯衰」には一顧だにせず、「死」を踏みにじるようにして、日本人はせっかちに奈落の底へ邁進している。忘れている。死ぬことを忘れている。衰えることを、病むことを忘れている。衰病死という時間を最優先にしてすべてをデザインしなおさなければ、早晩日本は滅びるだろう。すでに滅んでいるとも言える。ゾンビは単なるフィクションではない。すでに半世紀前に、島尾ミホさんが日本本土で心を病んだのは、その頃の日本人がすでに彼女にはゾンビにしか見えなかったからに違いない。

空間や物体のデザインでさえ、そのような時間を見据えた上での、根源的に「時間のデザイン」であるかどうかが本質的な分かれ目になる。

すこしだけ敷衍するなら、私たちの人生という時間には終り(死)があるからです。死(終り)を生(途上、過程)の側に組み入れた上でのよりよい人生が豊かにイメージできなければ、碌なデザインができるわけがないのです。しかし残念ながら、私たちが現に生きている社会はその点で非常にお粗末なデザインしかできていないというのが私の認識です。終り(死)から目をそらした偽善的なデザインに私たちは囲まれている。それは結局のところ、死は本当は単なる終りではなく、「継続」の重要な契機でもあることを私たちがいつの頃からか見失ってしまったことを意味しているのだと思います。「時間」に深く焦点を当てるということは、そのような「死の認識」を深めるということになります。そこから「生」を逆照射して、本当に必要なデザインを見極める目を養うことを目指したいと思います。よろしく。

*1:This image is in the public domain.