エゾノコリンゴの実、大学祭二日目

札幌、快晴。

藻岩山。原生林のオニグルミ(鬼胡桃, Japanese Walnut, Juglans mandshurica subsp. sieboldiana)の木の黄葉が眩しい。

少し寝不足気味のぼんやりとした頭に、昨晩遅くまでアンティーカーさんと色々と話し込んだことが次々と浮かんでは消えてゆく。そしてなぜか幼稚園児の頃の体験が蘇った。それは、自分を信じて歩き続ければ、いずれきっと光が見える、とでも要約できるような体験だった。小鳩幼稚園の桃組で仲良くなったH君の家に遊びにいった。隣町の大きなお寺だった。幼稚園児がひとりでよくたどり着けたものだと今でも思う距離だ。薄暗い廊下や広い部屋で隠れん坊をした。帰宅途中ですっかり陽は落ちた。道に迷った。不安になった。しかし、なぜかきっとこの道だと感じた道を歩いていくうちに見慣れた明かりが見えてきた。家族が捜索願を出す直前に私は家に着いた。家族のなかでは後々まで語り種になった出来事ではあった。

そういえば、とそれから40年以上たってからの約3年前の体験も思い出した。私は幼稚園児の頃と同じような体験を繰り返していた。後で話しを聞いた皆が「それは無謀だ」と言った車での一人旅の四日目のことだった。アメリカのアリゾナ州のフェニックスからカリフォルニア州のロサンゼルスに向かっていた。朝早くインド系アメリカ人の親爺が経営するモーテルを出た。地図の上でしか知らないフリー・ウェイを走り継いで行けども行けども、まだ何百マイルもある、と絶望感が頭を掠める距離を走った。ロサンゼルスの遥か手前で陽はすっかり落ち、市内に入る峠の一般道では渋滞にはまり、遥か彼方までつながる車のヘッドライトの列に呆然としているうちに真っ暗になった。やっと峠を抜けると、複雑に立体交差した高速道が続き、次々とジャンクションが現れ、息つく暇のない運転が始まった。一瞬の判断の遅れがとんでもなく長い時間のロスにつながる。乗り継ぐべき高速道の番号の順番だけ頭に叩き込んで、後は標識を見逃さないように必死だった。頼れるのは頼りない自分の記憶と判断力しかなかった。その後は断片的な記憶しかないルートを辿って、やっと目的のサンタモニカの町に入ったときには午後9時を回っていた。最初に飛び込んだホテルでは体よく断られ、足下を見られた末に、料金の高いモーテルを紹介された。カチンと来た私は気力を振り絞って町中を車で流して安そうなモーテルを探した。ようやく料金がおよそ半額のモーテルを見つけて、部屋に転がり込んだ。一息ついてから、目をつけてあったホテルからそんなに遠くないチャイニーズ・レストランに歩いて行った。閉店間際で、他に客はいなかったが、中国系アメリカ人の若い娘の給仕は微笑みを絶やさず接客してくれた。ありがたかった。……。こうやって文字にするとやけに時間がかかるが、頭の中で蘇るイメージの連鎖、流れはせいぜい数十秒である。

原生林の北の端っこにある管理人の家の傍にはエゾノコリンゴ蝦夷の小林檎, Malus baccata var. mandshurica)の低木がある。タンポポ公園のとは違って実を沢山つけていた。

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今日は朝から大学の部屋に詰めている。昨日から始まった大学祭で万が一トラブルが発生した場合の対応要員の一人として。終わるのは8時半。分厚いガラス窓を突き抜けて、ラップ・ミュージックが聴こえる。ちょっと様子を見に行こう。

出店の並ぶ菩提樹通り。

仮設ステージで絶叫するバンドとノリノリの学生たち。

韓国からの留学生の出店。「パリパリ チヂミ 300円」美味そう。

中国からの留学生の出店。占いが当りそう。