昨日意外な結末を迎えたと報告したシナノキの折れた枝について、実は今朝思いがけない情報を得た。
いつものように、サフラン公園の入り口に立つシナノキの下を通り、公園内を横切ろうとしたとき、シナノキの根元に一本の小枝が残っていた。それを拾ってどうしようか思案していたら、突然背後から声をかけられた。「カラスの仕業だ。」驚いて振り返ると、そこには顔見知りの隣の町内に住む、私が密かにチベット・モンク(Tibetan Monk)、略して「モンク」と呼んで敬愛する年配の方がいた。いままで何度か言葉を交わしたことがある。私なぞ足許にも及ばない散歩の達人で、その言動のはしばしからは近隣町内の自然と人事の裏の裏まで知り抜いていることが窺える、複数の焦点を持った鋭い目つきのなかなか怪しい風情の人である。「え? カラスが?」「そうだ。」「いやあ、この間の強風で折れた枝の...」という私の言葉を遮って、「違う!カラスがな、止まって、重さでな、折れたんだ。何度も見た。」と言った。モンクは「こうやって、わさわさしてな」とカラスが羽ばたくような仕草をした。受けた。「本当ですか?」とは言わずに、「なるほど。カラスの仕業だったんですね」と相づちを打った。するとモンクはカラスに何か恨みでもあるのか、今度はカラスの話題を風太郎に向けた。「カラスを焼いて食ったら旨いぞ。おい、食わしてやろうか。あははは。」ちょっと不気味な笑顔を残して、モンクは私たちをその場に残して、公園の向かいにあるコンビニの方に向かった。
その後、前エントリーで書いたナナカマドの花を接写するために、私が塀によじ登って撮影しているところに、「北海道ポテト」と印刷された大きめの段ボールを抱えたモンクが通りかかった。コンビニで譲ってもらったのだろう。何に使うつもりか、ちょっと気になった自分が可笑しかった。モンクは立ち止まり、塀の上の私を鋭い目で見上げて、私がカメラを向けていた白い花の方にちょっと目をやってから、一瞬複雑な笑みを浮かべて今度は何も言わずに立ち去った。
それはそうと、そもそもシナノキの枝が折れていたのは強風のせいだと思い込んでいたが、モンクが証言したようにカラスの線も捨て切れないなあと思ったのであった。
そうそう、私は結局シナノキの小枝を家に持ち帰って、冒頭の写真に見られるように部屋の「祭壇」に供えたのだった。こうしてシナノキへの誓いの幾分かは果たしたことになるのではないかと思いながら。何やってるんだか。
*1:「私の廃品活用芸術活動」、別名「祭壇作り」は昨年の6月11日以来、報告を中断したままだった。「枯死芸」(2007-06-11)実はその後も活動は細々とではあるが継続していた。昨年6月11日の時点では、祭壇の素材は、西岡水源池で拾ったイワガラミの天然ドライ・フラワー、近所で拾った山葡萄の蔓、松毬(まつぼっくり)、そして蝦夷の小林檎である。ちなみに花瓶に見立てたのは、セールで買った「秋田の北鹿 / 雪中貯蔵」の酒瓶だった。その後、写真に見られるように、素材としては昨年晩秋に茎の上部が巻き毛のようにカールしているエゾアカバナ(蝦夷赤花)の茎、冬にナナカマド(七竃)の鄙びた実、今年に入ってからはつい先日枯れて乾燥し切ったオオウバユリ(大姥百合)の果皮つきの茎が追加された。そこに今回シナノキの小枝が追加されたわけである。