勇気が根を下ろす場所

中山さんが「勇気」を奮っている。

Emmausさんが「勇気」をめぐって書いている。ちょっと難しいけど。

小野さんが中山さんの「勇気」が根を下ろす「場所」をめぐっていいことを書いている。その「場所」をいっしょに護ろうとする自発的なネットワークにも触れている。

その「場所」のことを小野さんはこう書いている。

微妙に話はそれますが、最近思うのは、「見晴らしの良い場所」というのは、決して磐石な足場に立てる状況のことではなく、とても不安定でちょっとした加減でグラッと落ちてしまう様な危険な場所ではないかということ。つまり、目立つし(変人が目立つように)、ちょっとした批判や強固な慣習に晒されやすく、目には見えない手で引っ張られてしまうような場所。

小野さんのいう「場所」は、個人が何の後ろ盾もなく、裸の個人として社会に向かって立つ場所だと思う。たしかに「とても不安定でちょっとした加減でグラッと落ちてしまう様な危険な場所」だ。だから、ある意味では「ネットワーク」(id:simpleA)が生命になる。そして、改めて、「勇気」は見知らぬ他人をも信頼してしまう最大の賭けなのだと思う。私の知るかぎり、中山さんは、ずっと前からそんな賭けに出ていた。

ちなみに、最近巷で流行の「志向性の共同体」にはちょっと違和感を覚えている。脆くリスキーな「共同体」とも言えないような「場」を支え生かすのは志向性ではなくあくまで賭けのようなそのときそのときの信頼=勇気、そしてその連鎖反応みなたいものだと思うから。志向性はばらばらでいいと思う。