夢の中で、ある人に向かって、私は偉そうに語っていた。
実は自分(のブログ)を信頼することが一番勇気がいるってことですね。でも、それが自分に対する「義理」でもあるんじゃないかな。
信頼するには勇気が必要で、ひとたびの信頼が相手からの信頼を引き起こし、信頼が増幅していくプロセスはたしかにある。でも、それは信頼の半面でしかないことも事実で、これについては、アルフォンソ・リンギスの『信頼』をめぐって書いたことを思い出して、読み返していた。これ、俺が書いたのか、と思いながら。
- 「アルフォンソ・リンギス『信頼』」(2007年01月04日)
- 「信頼」(2007年01月05日)
- 「リンギスの『信頼』を巡って」(2007年03月13日)
- 「Elegyと墓碑銘、死者の言葉と翻訳」(2007年03月17日)
続けて、ネット(ブログ)が信頼増幅装置として機能し始めたことを実感していることを記したことも思い出して、読み返していた。
翻って、語る内容ではなく、語ること自体が重要になる極限状況(死に行く人を看取る場面など)が真のコミュニケーションが始まる地点、すなわち人間にとっての最も根源的な絆の在処(ありか)を示すのだというリンギスの主張についても軽く触れたことまで思い出して、読み返していた。
突然、でも「共同体」って言葉、使いたくないよね、という若い声が聞こえて、やっぱり「...」と応えようとして目が覚めた。その「...」がどうしても思い出せない。