遊んでいるだけです

短期日本滞在を終えてブラジルに戻ったサンパウロ在住の写真家楮佐古晶章(かじさこあきのり)氏が、ブラジルで公演中の舞踏ダンサー伊藤キムの身体表現観をめぐって面白いことを書いている。

今回、公演の後の舞台インタビューで司会者が、伊藤キムという舞踏のダンサーに、特異な身体の動きに対してなにか哲学的な研究をしているのか、という質問をした。その質問に対して彼は、「遊んでいるだけです」と答えた。
「8・9 表現」(『南米漂流』)

楮佐古さんは、その一見ふざけたような答えに、自らの写真撮影を含めた感覚的要素の強い表現活動の真実の一面を見ている。普通の言葉使いでは「何も考えることなく身体の赴くままに表現しているだけ」と言われることが、実は既存の観念や概念や範疇を突き破って文字通り「身体が考える」レベルにまで到達していることを伊藤キムは「遊んでいるだけ」と語っているに違い、と。分かる気がする。

翻って、私はこうして毎日ブログで言葉と写真をつたないやり方で繋ぎ動かしながら、「なにか哲学的な研究をしているのか」と誰かに質問されたなら、何と答えるだろうか、とふと思った。「遊んでいるだけです」と答えそうになる自分と、絶えず移ろい行く自分をその動きのままに記述する文体、いわば言葉の多面的、多次元的身体を探究しているのです、とちょっとマジメに答えたくなる自分がいることに気づく。もちろん、それだけではないが。