墓参り


何千何万の死者の心に花を咲かせようと墓地で奮闘する花咲か爺。

昨日家族揃って墓参りをした。妻の母の家に一泊した。私の「家」の墓も、妻の「家」の墓も同じ墓地にある。若い頃は死後も特定の土地、場所に縛られることを愚かしいと考えがちだった私も歴とした爺に近づきつつあるからなのか、先祖の墓のある土地、人生のある時期を過ごした土地に年に一度還ることにある意味を感じ始めていることに気づく。

父が逝った四年前の夏に、私は少し戸惑いつつも「次は自分の番だ」と受け入れた。ただし、「家」や「墓」を守るという意志はない。むしろ、そういう発想は私の代で終わらせたいという気持ちが強い。どういう形で終わらせるか。それが私の人生にとってのけっこう大きな仕事なのかもしれないと思っている。自分の足許や内部から形式的な惰性や甘えをできるだけ取り除いて行きながら、自信を持って伝えたい内容を明確な意味として次代に伝えること。難しい。


左上:未同定。右上:エゾノコンギク蝦夷野紺菊, Aster ageratoides subsp. ovatus var. yezoensi)。左下:ネジバナ(捩花, Ladies'-tresses, Spiranthes sinensis (Pers.) Ames var. amoena (M.Bieb.) H.Hara)。右下:ヤマハギ(山萩, Bush clover, Lespedeza bicolor)。

矛盾したことを書いていると思われるかもしれないが、そうではない。前段はあくまで私の人生にとっての意味、後段はあくまで家族の人生にとっての私の(死の)意味を考えている。両者を完全には切り離せないことは承知の上で。