第三の阿呆の行方

世の中には変な人たちがいるもので、嬉しくなりました。何の話かというと、「扇ぐ阿呆の会」(http://www.aoguaho.awaodori.jp/index.htm)というのがあるんです。その賛助会員である三村隆範さん(ドクターエンドー社主)はこんないいことを書いています(http://www.aoguaho.awaodori.jp/03paean.htm)。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損そん」
という阿波踊りの囃し詞は皆さんご存知でしょう。

踊らないと損と言っているように聞こえるでしょうが、
見ても踊っても同じ「阿呆」と言っているのですから
阿呆さ加減は,同じレベルと考えられます。

決して、踊る方がいいと言っているのではないのです。

「踊るのも見るのも楽しいけど、私は踊る方が楽しいぞ」と
言っているに過ぎないのです。
実に微妙な言い回しであります。

要は,楽しむ分には同じことですから、どちらでもいいわけです。
あまり形にこだわらず、先ず楽しむことから始まるのです。
心が、浮き浮きすれば、自然に身体も動き出すものです。

たとえ身体が動かなくても、心が浮き浮きするだけでも
生きていることの楽しさは充分味わえるものです。

この「扇ぐ阿呆の会」はかなりイケてると感じました。というのも、踊る阿呆と見る阿呆に限らず、もっと別の面白い参加方法、つまり第三の阿呆としての「扇ぐ阿呆」というコンセプトを出発点にして、こんなビジョンを描いているからです(http://www.aoguaho.awaodori.jp/01statement.htm)。

「扇ぐ阿呆」に興味を持つ人が生まれ、その輪がひろがっていくことを望んでいます。
「なんか面白い!」「この人たち、楽しんでる!」・・・。
そんな小さな驚きや感動が、いつか大きな渦となったら、もっともっと楽しいことが
できるんだろうなあ、と夢を膨らませています。

もちろん、第三の阿呆としての「扇ぐ阿呆」は多様なわけです。色んな扇ぎ方があるわけですから。色々と踊ったり、見たり、扇いだりしている爺にはとっても励みになる活動だなあと思った次第です。

ただ、それでもやっぱり、自分で踊ってみたい踊りを試行錯誤しながら、工夫して編み出すことが一番楽しい気はしますけど。