神が美しく作った川(イシ・カラ・ペッ)、乾く大きい川(サッ・ポロ・ペッ)

自分が住む土地のことをよく知らないことを折りにつけ痛感してきた。ごく当たり前に、札幌に住む、という。広くは石狩、さらには北海道に住む、という。しかし、「札幌」、「石狩」、「北海道」と呼ばれるようになった土地のことを私はまだほとんど知らない。そのことは「住む」ことの意味さえ分かっていないことを意味するような気がする。

「北海道」については以前少し書いた。


山田秀三著『北海道の地名』(asin:489363321X)によれば、大きな地名になるほど、由来の解明には独特の困難が付きまとう。「石狩」レベルでさえ語源に関しては諸説あり、結局のところ、未詳である。

山田秀三は、「石狩」の名の由来に関して、上原熊次郎の『蝦夷地名考並里程記』(文政7年)、松浦武四郎の『国名建議書』(明治2年)そして永田方正の『北海道蝦夷語地名解』(明治24年)に見られる諸説を紹介しながら、こう述べる。

石狩 いしかり

 道央を豊かに流れる石狩川は、北海道の心臓であり、大動脈だ。石狩は元来は川の名であるが、地方名、旧国名、町名としても使われた。もちろんアイヌ語から来たのであるが、どうしたものか語意が忘れられた。旧来説が多いが何とも判断ができないので、一応それらを並べて見ることにした。

(中略)

 石狩のような大地名になると、その地名の元来の発祥地が忘れられたので、従ってその語義も分からなくなるのが自然なのであった。またその音であっても、元来の形さえ見当がつかなくなる。

 古謡の中で、石狩人という場合にはイシカラ・ウン・クル、あるいはイシカルンクルだったという。それから見ると、石狩の当時の音はイシカル(ishi-kar)だったらしい。上記諸説の中、「美しく・作る」や「鳥の尾羽を・作る(採る)」はこの音である。「ふさがる」という説、あるいは「回流する」という説は、イシカリ(ishikari)で、前の説と音が違う。だが地名の音であっても、転訛しやすいので、それだからどうだともいえないのであった。

(『北海道の地名』15頁)

山田秀三が紹介する諸説の中に非常に惹かれる説がある。永田方正の『北海道蝦夷語地名解』(明治24年)で紹介されているといういわば「神話説」である。

ペニウングル(上川人)云ふ。イシカラペッなり。イシは美く、カラは作る。美く作りたる川の意。太古コタンカラカムイ(国造りの神)親指にて大地を劃し此川を作り給ひたり。故に名くと。

(15頁)

神が美しく作った川! それ自体美しい想像力が、永田方正と山田秀三の記録を経由して私に届く。


「札幌」については、かなりフォーカスが絞られている。

札幌 さっぽろ

 今 sapporo と書くが、アイヌ時代の昔は satporo で、「さとほろ」とも呼ばれた。古い元禄郷帳(1700年)では「しやつほろ」である(アイヌ語ではサ行音とシャ行音は同音)。元来は川の名で、豊平川の古名だった。ただしそれがサッポロ川で呼ばれた時代は、現在の豊平橋の辺からもっと北向きに流れ、伏篭川の筋を通り、茨戸付近で石狩川(旧)に注いでいたという。アイヌ時代の習わしで、その川筋一帯の土地もサッポロなのであった。

(中略)

 もう分からなくなった名ではあるが、地名一般の付け方から見て、平易に、サッ・ポロ・ペッ(sat-poro-pet 乾く・大きい・川)ぐらいに解するのが自然なような気がする。札幌川(豊平川)が渓谷を出て札幌扇状地(今の市街地)で急に広がり乱流し、乾期には乾いた広い砂利河原ができる姿を呼んだのではあるまいか。

(『北海道の地名』17頁)


「札幌附近略図」同書16頁)