すれ違い


寒い。昨日より一段と冷え込む。新しい雪がうっすらと積もっている。風太郎やや不調。おお、雲がいい感じ。空き地の雪の上に鉄柵から落ちた雫の跡がきれいに並んでいる。そういえば、昨日、マミちゃんを名乗る人物から変なメッセージが入った。マミちゃん? 誰だ? 立川まで最後は雨に打たれながら18キロを2時間で走ったという。ああ、下川さん(id:Emmaus)か。下川爺も、己を「マミちゃん」と遊ぶ境地に羽ばたき始めたか。ちょっと危ない感じがしないでもないが、素敵なことには違いない。彼はそれを「継続」とも言っていた。そうね。継続。彼とは横浜では会えずに、すれ違いだった。それもまたよし。「すれ違い」という形で会っているわけね。というか、すでに何度も会ってるみたいなもんだしね。その意味では実際に会うことにどれだけの意味があるのか、あるいは実際に会うことにどれだけの意味を見いだしうるかは怪しいもんかもね。実際に会うことと本当に出会うことはいつも微妙にずれているしね。永遠にずれ続けるのかもしれないけどね。

私は下川さんのようには走らない。私流には走るけどね。下川さんが立川に着いたころ(「着/無事に立川/18キロ2時間/大好きな雨がお迎えです/おさわがせしました」引用事後承諾)、大分では小野さん(id:sap0220)が「走っていた」(「こっちはこれから仕事が佳境です。天気は雨から一転、日が差してきました。やるべーし!」引用事後承諾)。私は「島尾伸三さんと奄美大島に行ったり」、「永井荷風玉の井を歩いたり」、していたようだ。

つまり、三上さんが云った「すれ違い」とかはまったく出会いそのものの本質だろうから。ボクの問題をボクは語りそれを三上さんが自分の事として返す。でボクらは横浜では語り合えなかったのだけど、でもこうして【差し】で話せるってことはすごくまた腑に落ちるんだ。たとえ人生のある局面で【ある何か】で互いに交信できずに言葉を接ぐことさえ不可能なことがあったとしても、各々が人に開いて自分で言葉を全体をめぐらしてなだらかに自分のものとしているんだろうと思う。
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20081221#c1229965953

そう、中山さん(id:taknakayama)との場合もね。