朧げな記憶の中から、社民党本部の入っている社会文化会館の屋上で一所懸命にミツバチを飼うひとりの男の姿が浮かび上がって来た。あるテレビ番組を見たときの記憶である。一昨年だったろうか。
悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」―ミツバチが消えた「沈黙の夏」
- 作者: 船瀬俊介
- 出版社/メーカー: 三五館
- 発売日: 2008/05/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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船瀬俊介著『悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」』を読んで、その男が銀座ミツバチプロジェクトの生みの親である岩手の養蜂家・藤原誠太さんであることをはじめて知った。
2006年に設立された銀座ミツバチプロジェクトは2007年には取材合戦が繰り広げられるほどマスコミ報道も加熱したらしい。ウェブ上の関連ページも現在2万件を超える。しかし、マスコミ報道でもウェブ上でも言及されることのない、銀座ミツバチプロジェクトの背景から目をそらすことはできない。
船瀬俊介さんの質問に藤原誠太さんはこう答えた。「(養蜂にとって)東京がなぜ、ベストかって? 東京では農薬やネオニコチノイドは、まかれていないでしょ!」(同書、第11章「銀座の空にミツバチが翔ぶ!------新しい都市の姿」220頁)。
2005年の夏に岩手県の藤原養蜂場で飼われていたミツバチの半数以上にあたる約2000万匹が突然死んだ。原因は、近隣の田んぼで水稲のカメムシ駆除に散布されたネオニコチノイド系殺虫剤であることがほぼ明らかになった。それから農薬メーカーと農政が複雑に絡み合った絶望的な状況の中での藤原さんの戦いは始まった(同書、第5章「ある夏の悪夢------まず、養蜂家と農家がやられた」89頁〜107頁)。
銀座ミツバチプロジェクトはそんな戦いの明るい一環であることを知った。
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