書けないことがあるから書く。そして書くことと書かないことは紙一重のなかで書き続けるのだろう。
思い出したものが悲しみを連れてくるのではなく、いつでも、ふいに、悲しみが思い出を連れてくるのだ。
哀別の風景(『坂のある非風景』2008 / 02 / 18)
南無さんの「「お一人ですか? - 三上のブログ」と」(2009-02-05)に「ともに生きたものがひとりで去る日」(2009 / 02 / 06)を書かれたMさんの約1年前の「哀別の風景」(2008 / 02 / 18)が参照先として追加されていた。それは、愛犬トフィーを亡くされたはなびさんの「ありがとう、またね」(2008/01/09)につながり、さらに数年前に二匹の愛犬をたてつづけに亡くした(「最後の6日間」(2005-09-17)、「玄之介の後を追った熊吉」(2005-10-29))南無さんのその後の生活の中でふと彼らの不在が心の琴線に触れる様子を語る「彼岸花」(2005-10-01)と「引っ越した」(2007-11-17)にもつながる文章だった。そのつながりの本質は、死別の悲しみや痛みの書けなさを深く自覚して誰かが書く、誰かの代わりに書くという見えないつながり、あるいは負のつながりである。
はなびさんが書く。
たとえば10から3が失われたとき、ひとは「10-3=7」の「-」の部分でも
「3」の部分でもなく、7≠10だということを悲しむいきものなんじゃないかな、
とおもっています。だから、南無さんも私も、「7」であることの痛みに接したときに、
「-」よりも「3」よりも、「10」を語ったのだと。
Mさんが書く。
ぼくの経験をかつて文章にしていたのですが、
それは失くなってしまいました。
もういちど書く、それができません。
それで、だれかが代りに書いてくれるのを、こうやって待っているわけです。そしてぼくもまた、だれかの代りに書いているのです。