共感と祈り

今朝も藻岩神社にお参りした。珍しく先客がいた。社殿に上る階段の下で待った。黒いコートに身を包んだ年配のご婦人だった。ずいぶん長い時間やや俯いて手を合わせていた。何を祈っているのだろうと詮無いことを思った。待たせたと思われないように、堆く積まれた雪の陰に身を引き、時々顔を出して様子を窺いながら、彼女が祈りを終えて、こちらに向き直ったのを確認してから、ゆっくりと階段に近づいた。彼女の顔は疲労困憊しているように見えた。こちらを見ないようにして降りて来る。顔を見られたくないのかもしれない。挨拶は控えた方がいい。ところが、階段の途中ですれ違うとき、彼女の方から「おはようございます」と声をかけられた。一瞬虚をつかれた私は慌てて「おはようございます」と返したが、それはとてもぎこちなくおさまりのわるいものになった。

自分の番になって、いつものように手を合わせて眼を瞑って「諸行無常、……、寂滅為楽」を心の中で唱えているうちに、最初は頭の中を占めていたイメージや意味が雲散霧消して、音だけになってゆくのを感じた。いつものように、最後に、そのご婦人の辛く悲しそうな顔も思い浮かべながら、「みんな、とにかく、がんばれ!」と締めくくった。

ここまで書いて、KaKaさんが思いがけない素敵な歌と言葉を贈ってくれたことに気づいた。

I pray that time will relieve you of your sorrow.
Time will relieve you of your sorrow.
たとえ何もなかったように明日がきても
慈しんだ日々 すべて 記憶の中に いきている

 愛された犬に(『裏庭日記』)