ブラックマーケット


第三の男 [DVD] FRT-005

第三の男 [DVD] FRT-005

映画「第三の男」(1949年)をみる。何年ぶりだろう。冴えわたった画面に思わず引き込まれる。久しぶりにみてみようと思ったきっかけは、闇市、ブラックマーケットへの関心からだった。

佐野眞一の『カリスマ 中内功ダイエーの「戦後」』(asin:4101316317)にこんなくだりがある。

 敗戦直後のブラックマーケットの雰囲気をかすかに残す元町高架下のうす暗い店先で井生*1の話を聞きながら、私は昔みた映画「第三の男」を思い出していた。
「第三の男」は、第二次大戦後、米英仏ソ四カ国の管理下におかれたウィーンのブラックマーケットを舞台に、悪質なペニシリンの密売で儲けた闇屋を親友の作家が追跡するサスペンスドラマである。
 ラスト近くウィーン名物の大観覧車に二人が乗り、オーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムという闇屋が、親友の作家に向かって、「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイス五百年の平和は何を生んだ? 鳩時計だけさ」という件りはあまりにも有名である。
 私はハリー・ライムがふてぶてしい面構えで呟いたその台詞に、神戸のブラックマーケットをかけずりまわってペニシリンを売りまくった二十代の中内の姿が重なって見えた。
 フィリピンのジャングルから奇蹟の生還をとげた中内にとって、たちまち平和ボケした日本の戦後は退屈な日常でしかなく、無法が大手をふってまかり通るブラックマーケットだけが、唯一、生を燃焼できる場所だと感じたに違いない。(196頁〜197頁)

「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイス五百年の平和は何を生んだ? 鳩時計だけさ」という気の利いた台詞はまったく記憶になかった。確かめてみたくなったのだった。それは実際にはもっと長い台詞だった。

"You know what the fellow said―in Italy, for thirty years under the Borgias, they had warfare, terror, murder and bloodshed, but they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci and the Renaissance. In Switzerland, they had brotherly love, they had five hundred years of democracy and peace―and what did that produce? The cuckoo clock."*2

字幕:「ボルジア家の30年/争い続きのイタリアではルネサンスが開花した/兄弟愛のスイスでは/500年の民主主義と平和で/鳩時計どまりさ じゃあな」

短絡的な詭弁にすぎないとはいえ、平和時がいわば退屈に時を刻む「鳩時計」しか生まないのにくらべて、血なまぐさい戦争時こそがミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるルネサンスの爆発的創造を生んだのだという強引で強烈な対照は、この映画の陰影に富んだ白黒映像に見事に釣り合ってはいる。ちなみに、この台詞はグレアム・グリーンの脚本にはなく、オーソン・ウェルズが付け加えたものだったという。*3

***

以下「闇市」に関するメモ。

佐野眞一は、敗戦直後に中内が暗躍した日本の闇市についてかなり立ち入って書いている。

 闇市は、戦後社会の出発点の赤裸々な縮図だった。銀座から富士山が見えた東京では、敗戦直後から、新橋、渋谷、新宿、上野などの盛り場に闇市がぞくぞくと誕生し、闇市の露天がデパートを制した、といわれるほどの熱気と喧騒をみせた。
 神戸闇市の活況は東京以上だった。三宮駅から神戸駅までの約二キロメートルに及ぶ国鉄(現・JR)高架下と、高架沿いの道路部分を含む闇市には、間口一間か二間しかないバラック建ての露店が七百軒あまり軒を連ね、地をはう百貨店、日本一長い百貨店といわれた。
(中略)
 敗戦はすべての面におけるタテマエの崩壊を意味していた。長い間日本の社会を支配していた伝統的価値体系が崩れ去り、国民は突然、かつて自分を律していた行動基準を失ってしまった。
 市場があれば国家はいらない、という言葉があるが、まるで心にポッカリ穴があいたような放心と虚脱のなかで、すべてホンネでたちあげた闇市に人々が群がっていったのは、しごく自然ななりゆきだった。
(中略)
 闇市は敗戦のどさくさにまぎれて現れた泡沫的風俗的現象ではなく、独自の集荷、流通、販売のルートをもつ経済現象となっていった。
 神戸に日本一の闇市が出現した背景の一つには、隣接する大阪、京都では最初から、闇市絶滅の強硬方針がとられたことがあげられる。これに対し神戸の行政当局は、焼跡の瓦礫のなかに渦巻くこの巨大なエネルギーとバイタリティを、むしろ神戸の戦後復興のための強力な牽引車として位置づけた。
 闇市は抹殺すべき対象ではなく、人間にたとえれば、”皮膚呼吸”に相当する、人間が肺呼吸だけでは生きられないように、配給だけで生きられない人々のために、闇市を健全に育成することこそむしろ肝要である、というのが神戸市の行政担当局が最初からとった基本的姿勢だった。(上掲書、182頁〜184頁)


山崎豊子は『暖簾』(asin:4101104018)の中で、ラバウルから生還した孝平が、原資を蓄積しようとして行き来した神戸のブラックマーケットを次のように簡潔に描写した。

 三ノ宮闇市は、日中韓の三カ国の闇商人が全国から集まっている国際的なブラック・マーケットだった。神戸港を控えて国産品はもちろん、外国品もここへさえ来れば何でも集められた。三ノ宮駅から元町駅まで続くガード下は、屋台を広げた闇商人で埋まっている。大声で物資をひけらかす商人と、必死で買い漁るブローカーとで喧騒を極めていた。濛々とたちこめる塵埃と人波の中から物資が見え、物資の中から人の流れが見えた。日本人、中国人、韓国人、何人だっていいのだ。高く買って呉れる相手、安く売ってくれる相手だけが、互いに探しあっている目標物だった。(117頁)