父親はつらいよ

最近は頭髪もさだまさしかJLGかというほど父親らしくなってきました。

高校生のときに母が死に、大学生のときに祖父母が死に、そして四年半前に父が死んで、嫌でも次は自分の番だと思い知らされた時、「父」そして「親」という言葉が重くのしかかってきた。その時すでに二児の父親で、それなりの自覚はもっていたはずなのに、その自覚はごく浅いものでしかないことに気づかせられた。そして実際に祖父母や父母がどんな人間で、彼らににどんな感情を抱いていたかにはあまり関係なく、その存在そのものによって無意識に支えられていた部分の大きさに愕然とした。まるで今まで立っていた舞台の背景がすべて吹き飛んで、吹きさらしの曠野に立たされたような気さえした。これからは自分がそんな支え、背景そのものになるわけか、自信ねえなあ、と観念したときに、初めて「父」そして「親」の意味を了解したような気がする。父親はつらいよ。何、偉そうなこと言ってんのよ。