マサオ君の散歩の思想

マサオ君の庭の思想(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090705/p4)はお察しのとおり、散歩の思想と切り離せない。しかも両者は相補って壮大な世界観をなすというのが彼のもっぱらの口癖である。誰も、特に家族は、彼の言葉に耳を傾けようとしないが、、。「何言ってんだか、ほんとにもう」

さて、マサオ君の散歩の思想とは如何に?

マサオ君によれば、それは要するにあの「浦島太郎」だと言う。つまり人生は旅であり、その本質は時間や空間の常識を越えた深い変身かつ変心の過程にあるということのようだ。なんだか難しい話だが、ひとつ確かなことは、彼が散歩に出かける前の鬼のような顔(ビフォー)は、散歩から戻ったときには仏のような顔(アフター)に変化しているという紛れもない事実である。しかも仏のような顔の時間が少しずつだが確実に増えているような気がする。散歩はわたしたち世人の想像を遥かに越えた冒険であり、驚くべき発見の連続である、とも言う。よく分からないが、そうなんだ〜。

それで、そのような散歩の思想と庭の思想が深く作用しあうことによって、どんなスケールのどんな状況にも対応することができるとんでもなくエキサイティングな世界観というかヴィジョンが誕生するらしいのだが、私にはますますよく分かんない。あんまし説得力ないような気もするけど、、。それに夜更かしがたたって今朝は寝坊して散歩を諦めたという噂だし、、。私? 私にもよく分かんない。