地平という無言のバイブル

たしかに、藤原新也が語るように、ぼくらは実は傾き歪んだ地平とは言えない浅はかな舞台の上で生きることを余儀なくされてきたようだ。

 ぼくは、<旅>を続けた……多分に、愚かな旅であった。時に、それは滑稽な歩みですらあった。歩むごとに、ぼく自身とぼく自身の習って来た世界の虚偽が見えた。

 (中略)

 地平を見て暮らす動物は、自分の三半規管の故障を即座に見抜くだろう。ぼくは、地平という無言のバイブルを直視しながら、なぜ自分が垂直に立っていなかったかをすぐに理解した。

 (藤原新也『印度放浪』朝日文庫asin:4022607742、301頁〜302頁)

山も植物も動物も、重力と拮抗しながら垂直に立つ姿をその基本的な形態として持っているように思う。散歩中や旅の間に、私が見ているのは、彼らのそのような姿であると同時に、地平線ないしは水平線である。そして、それらと自分との距離を見極めようとしているのだろう。自分はこの与えられた地平に垂直に立てていない。彼らを見ることを通して自分の傾きや歪みをチェックしている。さらには見失いかけている地平を回復しようとしている。書くことも、写真を撮ることも、そのような地平に垂直に立とうとする意志の現れであるのかもしれない。しかし、結局のところそれは実際にこの地平に垂直に立って生きることの代償行為に過ぎない。そして、いずれはこの地平に埋もれる。その少しでも前に、この地平にこの脚で立ってこの足で歩いて生きる時間を持ちたいものだ。