植物であることの幸福



Le bonheur d'être plante


最近私の中には、時代も国も異なる二人の植物学者がいる。彼らの「眼」を借りて、そしてカメラの「眼」を借りて、植物の存在の意味を学びほぐして(unlearn)いる。同じ植物学者でも、カール・ブロスフェルトはいわば植物の屍体を愛好し、パトリック・ブランは生きた植物との交合を愛好する。両者は極端であるが故に面白い。ブロスフェルトは植物の形態の「アルファベット」を抽出し、その構造の神秘を解明しようとし、ブランはエコに通じる植物と人類の共生や調和の思想はさておき、己の肉体を捧げて植物そのものに成ろうとさえする。ブランには狂気ともいえる強い意志を感じる。パトリック・ブランの「垂直庭園」の仕事の背景とも言える植物に対する深い思いを綴った本書はそのことを雄弁に物語っている。


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