完璧な生活や仕事



 辺境へ、世界の果てへ (写真叢書)


小野寺誠によれば、「ここではない、どこかへ!」という旅の衝動を形づくる「問題」は自分の「内側」にあると同時に人生の「偶然」ないしは「巡り合わせ」のようなものである。したがって、

真の旅は楽しみであるよりも、それ自体独立した、完璧な生活や仕事という趣きがつよい。

 小野寺誠『辺境へ、世界の果てへ』(青弓社「写真叢書」、1999年)160頁

この「完璧」に籠められた意味を明らかにするために、旅に出、旅の記録を書く必要があったように感じた。「ここ」では「完璧な生活や仕事」ができない。だから、「ここではない、どこかへ」旅に出る。何度でも出る。いうまでもなく、旅先はいま立っている「ここ」よりも甘いわけじゃない。しかし、だからこそ、「完璧な生活や仕事」ができる。小野寺誠にとっての「完璧な生活や仕事」とは、過酷な自然の中で死と隣り合わせの生存ぎりぎりの生活や仕事をすることだった。それは、いわば生の底なしの底に触れることを意味していたようだ。彼の「旅」は、いや、そもそも旅というものは、「仮死」や「死と再生」の物語を生きること、というよりは、もっと生々しい「自死」の一形態であるようにさえ思われる。しかし、そんなに急がなくても、いずれは死ぬのだから、一般的な「いま、ここ」を私だけの「どこでもない場所」にすることはいくらでもできるのではないか。つまり、「ここ」にいながらにして旅することができるのではないか。本書を読みながら、そんなことを思った。


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