天津の暑い夜





広州から空路二千五百キロ余り戻るように北上して天津に行く。天津は大連とほぼ同緯度にある。北京までは京津高速を使えば二時間足らず、百数十キロの距離で、「通勤圏内」であると聞いた。広州に比べれば湿度は低かったが気温は三十℃を超え暑かった。渤海湾に注ぐ海河(Haihe River)が流れ、南京路がほぼそれに並行して走る狭い地域内をタクシーで移動を繰り返す数日だった。訪れた或る大学の敷地内には租界時代の煉瓦造りの重厚な建物がいくつも保存され、そのまま活用されていた。緑も豊かだった。白黒の尾の長い大型の野鳥を見かけた。暑い夜、ホテルの裏側の小路に建ち並ぶレストランやバーのオープンテラスではどこも連日大型のテレビでサッカーのワールドカップの試合を流していた。歩行者も思い思いに足を止めてしばしテレビの画面に見入っていた。街角のスペースには大きなスクリーンと数十のパイプ椅子が設置され、大勢の人が集まってビールを呑みながら試合観戦していた。日本対カメルーン戦を天津の人達に交じって観戦した。